変わるもの、変らぬもの、アユタヤにて

ピピ島でのバカンスを終え、曇り空の中でも3回泳げばこんがりと焼けて、一昨日バンコクへ戻る。その足でアユタヤに出かけ、トゥクトゥクをチャーターして世界遺産に指定されたアユタヤの寺院遺跡群をめぐる。ついでに象にも乗る。

アユタヤには1996年、2001年、そしてこの2007年と、この11年で都合3回訪ねたことになるけれど、そびえる仏塔も寝そべる釈迦仏も、何も変わらない姿で僕を出迎える。そうして、僕は10年の歳月とともに、ぷよんとお腹についた贅肉を撫でながら、塔に登りアユタヤの景色を眺める。
遺跡って奴はよくない。
大して変化のない風物を、再訪してあらためて目のあたりにすることは、やっぱり切ない。

最初に訪れたタイの街は実はバンコクではなくアユタヤで、その時駅前から船着場へ伸びる一本道は、乾いた土埃をあげる未舗装のそれだった。
今ではきれいにアスファルトで覆われ、沿道の食堂や土産物屋もいくぶんか小マシな家屋に建て替えられている。あのときの光景は、たぶん、僕だけのもので、それはもうここにはない。それを喜ぶべきなのかどうか、今ひとつ判然としない。

変わるものと変わらぬものを交互に眺めながら(ちなみにチャーターしたトゥクトゥクの料金は11年前から変わらぬ600バーツだった)、僕はまた次の旅のことを思う。旅というものが僕にとって何なのか、いまだによくわからないけれど、腐れ縁ってこういうもんではないかな、と思う。変わるものと変わらぬものがないまぜになりながら、そこには僕をつなぎとめる糸が一本、切れずにぶら下がっている。

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