1997/10/01 2日目

 起床してひげを剃るために廊下に出る。シェーバーを使うためのコンセントが廊下にしかなかったからだ。部屋に戻ろうとすると、オートロックのせいで鍵が開かない。うかつだった。通 りかかった掃除のおばちゃんに「Please open the door with the spare key, because I have gone out without rom key」と英語でもの申すが、伝わるわけもない。ドアノブをがちゃがちゃやってみせると、おばちゃんは事態を把握したらしく、笑いながら鍵を開けてくれる。

 もとから朝ご飯を食べる習慣がないので、荷物をまとめてさっさとスコータイに出かけることにする。とりあえず駅のクロークで荷物を預け、「スコータイ?」とバス停とおぼしき場所で人々にスコ-タイ行きのバスの乗り場を訊ねる。指さすバス停で、停まるバスにひたすら「スコータイ?」と声をかける。一台のバスがうなずいたので、乗り込み、車掌に料金を払う。5バーツ。えらく安いなと思ったが、それもそのはずで、このバスはバスターミナル行きだった。また「スコータイ?」と訊ね回るはめになるが、それほど労せずにバスを見つけることができた。待つほどもなくバスは走り出し、わりあいと舗装の良い道路を快走する。1時間少々でスコータイに着く。
 スコータイはピッサヌロークの西北に位置する地方都市だが、この町はタイ族最初の独立国家、スコータイ王朝の遺跡で知られる。タイで現在最も信者の多い宗教である仏教を取り入れたのもこの王朝であるし、日本でも有名な宋胡録の陶芸を生み出し、タイ文字を考案したのもスコータイ王朝時代においてであった。日本でいうならば鎌倉のような位 置づけの町になるのだろうか。
 もっとも遺跡は現在のスコータイ市街からさらに12km離れた場所にあり、スコータイの町中で降ろされた私は、さらにソンテウ(ピックアップトラックの荷台を客席に改造したもの)に乗り継ぐ必要がある。自分が今いる場所もわからないのだが、地図と道路標識を照らし合わせ、乗り場まで歩く。周りの人や、他のソンテウの乗客に教えてもらいながら、さらに乗り換えをして遺跡へ。

 スコータイ遺跡は乾いた赤土の、埃っぽい土地の真ん中のオアシスのような場所だった。濠や池が点在しているため、周囲より緑が多いように感じられるのだ。
 遺跡そのものは公園として整備されており、城壁の内部と外部にわかれている。私はそばにあったレンタサイクル屋で自転車を借り、入場料を支払って城壁の中に入る。

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 これがスコータイ王朝の王室寺院となったワット・マハタートである。・・・たぶん。
 スコータイ時代の遺跡の特徴は、蓮のつぼみのようなかたちになっている仏塔(チェディ)である。他にもいろいろと様式上の特徴があるようなのだが、省略。タイの遺跡の時代考証をするには、とりあえずチェディに注目しておけば問題ない。

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 遺跡寺院のどれかである。たいそう暑い中、自転車を漕いで回ったせいで、どれがどれだか覚えていない。

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 とある寺院の壁画彫刻である。漆喰が剥げ、だいぶ崩壊しているが、それでもその美しさは十分に偲ばれる。
 アンコールワットやボロブドールなどの遺跡台座には、ラーマヤーナ物語を模した彫刻があったりするのだが、ここの仏陀像にはそのような物語性はないように見うけられた。しかし、私が浅学不勉であるせいなのかもしれない。

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 この寺院はスコータイ様式ではなく、クメール様式にのっとって建てられている。中央にそびえる搭堂も、プラーンと呼び方が変わるらしい。内部は空洞になっており、私ものぞいてみたのだが、中には雨水が溜まってい、とても奥に入れる状態ではなかった。

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 ワット・スラ・シーである。持参したガイドブックには、なぜか記述がないのだが、ここスコータイ遺跡公園の寺院群の中でも珠玉 の美しさであった。
 おそらく建築学的に見ればどうということのない建物なのだろうが、池に囲まれているその姿が何よりも叙情的であった。

 うだるような暑さに参ってしまったが、気を取り直して博物館に行く。ミュージアム・ピース(当たり前か)の宋胡録や、発掘された仏頭を眺めたりする。
 そばにあった市場の屋台でビーフン、肉団子、スルメを食べる。スルメは形こそ小さいものの、日本のものと変わらない味がする。なぜこんな内陸の町でスルメなのか、わからない。肉団子が売っているようでは、かつての日本のように「貴重な蛋白源である」という推論も成り立たない。
 ソンテウでスコータイ市街に戻り、行きに乗り換えた場所でさらに中心部まで向かうソンテウに乗り換えようとする。「スコータイ?」と訊いたのが悪かったらしく、遺跡公園へ向かうソンテウに乗り、逆戻りする羽目になる。あわてて「ピッサヌローク!」と叫び、降ろしてもらってから、あきらめて歩くことにする。地図があるおかげで、だいたいの地理勘はつかめる。
 冷房など期待できようもないバスで、炎天下の中ピッサヌロークへの復路を走る。バスターミナルへ向かう途中に、昨日歩いた川が見えたので、そこで降ろしてもらう。しかし、やたらに安い交通 機関だった。朝方乗ったバスターミナルへのミニバス、スコータイへのバス往復、遺跡公園までのソンテウ往復を合わせても47バーツであった。
 市場でパイナップルを1個買い、皮をむき小さく切ってもらう。25バーツ。駅のベンチでかじっていると、乞食の老婆が近寄ってくる。中年のおっさんが話しかけてくるが、現地語なのでさっぱりわからない。

 さて、今日は夜行列車でチェンマイに向かう予定である。ピッサヌロークには21:30に到着するようなので、それまでが暇である。とりあえず駅前の喫茶店で日記をつける。何もこんなところまで来てコーヒーでもないような気がするが、冷房のもとでゆっくりできるのはここくらいである。
 その後サムローをつかまえ、夕べ訪れたナイトマーケットへ向かう。身振り手振りを交えながら、「エビ、鶏、菜っぱ、モヤシ」の炒め物と、トムヤムクンを注文する。野菜炒めは薄い塩味でご飯の上にのっかっており、日本人向けの味だった。ミネラルウォーターも頼み、しめて85バーツ。まあ、そんなところだろう。

 列車はいささか遅れたが、ともかく無事にチェンマイ行きに乗り込む。切符は昨日買っておいたのだが、2等エアコン無し寝台である。
 大きな失敗だった。
 夜行列車の場合、鎧戸が閉まるので全く風が入ってこない。ただ扇風機がなまぬ るい空気をひっかき回すだけである。暑くて寝られそうにない。悶々としながらベッドを転がる。タイの国鉄は全線禁煙なので煙草を吸えないのも辛い。
 デッキから外を見る。闇夜の中に、ぽつりぽつりと人家の灯りが見える。たまに、踏切を通 過する。踏切番の男が、所在なさげに立っている。

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