さて、ここからは佐太郎翁死後の森島家の歩みを振り返りながら、その内側をもかいま見ていくページになるはず、・・・である。
佐太郎翁の死後、森島家は揺れる。偉大なる家長の死後、混乱が起きるのは古今東西を問わない。森島家も例外に漏れず、お家騒動が勃発する。ちなみに私はひそかにこれを、「第一次森島家の乱」と、名付けることにする。
さて第八代当主になった弥太郎であるが、彼には何人かの姉がいた。彼自身は温厚な教養人であるが、その姉たちは「偉大なる父のもとで甘やかされて育ったわがまま」な女性であった。漫画に出てくるような、典型的なだめ娘である。全ての姉がそういうわけであったのではないのだが、私が伝え聞くところによると、その一人は「遺産分け」の大義名分を振りかざし、弥太郎が相続すべき株の一部を強引に持ち去っていったそうである。またある一人は伝来の家宝の一部を売却してしまったそうである。既に数十年以上昔の話であるため、その詳細に関して、今となっては調べるすべもない。
戦後の農地改革で森島家が土地を失ったのは「正史」記述の通りであるが、そのために生じた経済的困窮を乗り越えるため、家宝の多くをオークションにかけて売却してしまったそうである。おそらく、岐阜の業者などを呼び集め、二束三文で引き渡したのであろう。やむにやまれぬ行為であったとはいえ、このため森島家の歴史を、勘右衛門以前にさかのぼることは、ほぼ不可能になってしまった。
そして時代は高度成長期にいたる。弥太郎の長男であり、現当主信夫は妻・悦子と大阪万博開催の前後に結婚。「初めて会ったときに、マッチ箱をお墓に見立ててお墓の話をしていた。なんて変な人だろうと思った」という述懐を悦子がしている。なぜそんなはじまりから、結婚に至ったのかは永遠の謎である。
さて、話はさらに続く。が、なにぶんにも関係者のほとんどが生存している現状で、「裏話暴露」などをするわけにはいかない。
というわけで、「秘史」はこの時点で終了する。波瀾万丈の森島家の歴史は、さらに続くことになりそうである。
森島@今は東京と申します。
森島家の由来読ませていただきました。(何年か前から何度か。)
戸籍調査の結果、実は、私の先祖も貴殿と同じく、輪之内の下大榑新田出身であり、曽祖父が明治31年ごろまで、輪之内にいたようです。
現地調査も行ったのですが、既にお寺も2寺が廃寺。お墓関係も付近には、無さげでした。
旧土地台帳も調べましたが、大正時代に改製済のものしか残っておらず、きっかけとなりませんでした。
貴殿はの由来は、文献によるものですか?それとも、言い伝えによるものですか?
何か、史料をお持ちでしたら、可能な範囲で、
お見せいただければ、幸いです。
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なお、簡単には、
私の高祖父:森島庄右衛門(明治7年没)
私の曽祖父:森島菊松(明治4年生~大正10年没)兄弟5名+α
曽祖父は、水害後明治31年に名古屋へ分家してきたようです。
我が家の言い伝えでは、先祖は、庄屋だったと。。。これは、誤伝であることは、判明いたしました。
以上、長々と失礼しました。