太陽に融けた日々:その1

 カジュラーホーは暑かった。ちりちりと髪の毛が焦げていきそうだった。
 小さな町で・・・。いや、村と言ったほうが適切かもしれない。たまたま有名な「セクシー・テンプル」があるおかげで、世界中から観光客を集めていて、そのため村の中心部にはちょっとした町でもお目にかかれないくらいの機能が集約されている。空港まである。

 「セクシー・テンプル」には、英語名の由来にもなったアクロバティックな性交のレリーフが、無数に埋め込まれていた。新婚旅行中のインド人夫婦が、厳粛な面 もちで腰に手を回し回されつつ、そのレリーフを丹念に見て回る様子をぼうっと眺めるのは、なかなか悪くなかった。もっとも、刻まれた体位 はとても常人に真似ができそうにない。ペニスが折れそうだ。
 実際に多年の歳月に耐えてその困難な行為を持続している彫刻の中には、ペニスや睾丸がぽろりと欠け落ちているものも多かった。彫刻にとってもアクロバット・セックスは大変な作業らしかった。

 朝はトーストとこってりしたチャイを飲み、ぷらぷらと郊外を散歩する。小銭をせびる子供を払いのけながら、牛の糞を踏まないように畦道を歩く。数時間前に放出されたのであろう、そのほかほかの牛糞の向こうで、下半身が裸、丸首のTシャツのみを身にまとった幼児がびちびちと大便を垂れていた。

 戻って、粗末な食堂で昼食を摂る。「ターリー」とさえ言えば、アルミの盛り合わせ皿に、三種類の野菜カレーと、ライス、チャパティー、ヨーグルトを盛り合わせた定食が、つまらなそうに現れる。ライスの量 が少なくなると、つまらなそうに追加される。チャパティーを食べきると、つまらなそうにもう一枚か二枚運ばれてくる。
 たまに気が向くと「スペシャル・ターリー」を注文した。定食は晴れ姿に戸惑っていた。つまらなそうに、という形容詞が「少し困惑して」になるのが「スペシャル」であるようだった。

 村名物の遺跡は食堂のそばにあった。食事の後はとろとろとそこへ歩いていき、いくつかの寺院を廻る。一日に一つくらいは、新しい「アクロバティック・セックス」の体位を覚えた。
 退屈した頃にはリスが群れてこちらにやってくる。そのうちに午後の太陽が芝生やセックス彫刻やリスの群れやらを少しずつ融かしはじめる。木陰に潜り込んで午睡を決め込む。それでもつま先や両肩が少し柔らかくなって、ようやく目が覚める。夕陽の中をまたふらふらと歩き、宿へと戻る。

 薄紫色の夜と夕焼けの残照がせめぎあう時刻、僕は再び外出する。呼び込みの声をからかいながら、少し上等なレストラン、とはいえ大衆食堂に毛が生えた程度で、テーブルに蝋燭の炎がゆらめいているのが違いといったくらいの、へ。
 ぶつ切りの肉が茶褐色のカレーに浸っている。チャパティーを手で千切り、カレーソースをすくう。鶏肉やマトンも素手で掴み上げ、そのままかぶりつく。口中で肉を剥がし、骨だけになった残骸を皿に吐き出す。
 勘定を済ます段になって、ボーイが「チップ?」と尋ねてくる。その手を払いのけて店の外に出ると、天上に無数の星が輝くのが見える。それらがちかちかとまたたく。

 -インドだって、毎日はのっぺりとしているんだ-

 この地でも、日々はレミングの行進のように過ぎ去っていった。どこに進むのかは問題ではないそのレミング的な呪縛は、思ったよりも強固なようだった。

 そういう時間が、照りつけては沈む太陽に沿い、何日か流れていった。

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