1999/02/02 お昼寝急行バラナシ行き

1999/02/02 お昼寝急行バラナシ行き蚊のお陰でまったく寝不足だ。そばの食堂でサモサ、インド風揚げマッシュポテトをかきこんでから、駅へ向かう。
ダイヤなんて有って無きが如し、もうどの列車に乗っていいのか分からないのでただ「一等車でバラナシまで」とリクエスト。列車名の記入もないチケットを渡され、「すぐ来るからホームに行き、車掌に見せろ」と係員は言う。いささか不安だったけれど、言われたとおりにホームへ向かう。チケットは377ルピー。さすが一等車の料金。
待つほどもなく、列車がホームに到着した。そばのインド人に聞けば、これがバラナシ行きだという。一等車の車両を探し、無記入の切符をそばにいた車掌に見せる。軽くうなずいた彼に、一等個室へと案内される。そう、一等車は四人個室だった。おまけに寝台があり、のんびりと仮眠がとれる。大変快適だ。
僕は勝手に「お昼寝急行バラナシ行き」と決め込み、先客に倣ってベッドに横たわる。現金なもので、列車に乗った途端に腹具合が回復。鉄道がよほど性に合うのだろうか。

時刻表を見る限りでは、どうやらサトナー発が一時間遅れているらしい。そして途中駅で長々と対向列車を待ち合わせたりするうちに、あっさりと遅れがひどくなっていく。
荒野の真ん中にあるような小駅でも、素焼きのカップを積み重ねたチャイ売りが必ず出現する。僕も外に出て、一杯購入。器の材質もあり、少し土臭い味だ。飲み終えたカップは、そのまま放り投げるのが流儀。やがて土に還っていくのだ。

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線路沿いにはお椀型の盛り土が見える。墓かと思いよく見てみると、苗木だった。成長すると別 の場所に移し替え、煉瓦で囲うようだ。おそらく、牛に若芽を食べられないための方策なのだろう。
ぽつりぽつりと集落も見え隠れする。もともとインドの民家は貧相だが、農村のそれは日本の江戸時代より貧しいのではないかと思われる。土壁に藁で葺いただけの屋根。

昼寝にも飽きたので、持参の地図と停車駅を見比べる作業で暇を潰す。列車は沿線最大の都市、アラハバードに到着。
ここではあらかじめ注文しておいた昼食が席に届けられる。アルミホイルで作った器用なトレイの中に、固めのカレーとライス、そして包みに入ったチャパティーが入っている。これで20ルピー。
さあ、食べるかなと思った瞬間、窓から乞食が手を伸ばし、弱々しい声で「バクシーシ(お布施)」と声をかけてきた。彼の差し出した手首から先は、すっぱりと切り取られてい、その上に幾ばくかの小銭が乗っていた。インドでは乞食も職業のうちで、同情を引くために敢えて不具になる、あるいは親にされるという話は知っていたが、目の当たりにするとやはりぎょっとする。財布をまさぐり、1ルピーをその上に置いてやる。乞食は静かに頭を下げると、黙って次の貰いへと歩いていった。

ガンジスの支流、ヤムナー川を越えるところでは火葬の現場が見えた。きらびやかな布に包まれた棺の周りに、何十人もが寄り集まっているのですぐにそれと分かる。外はいつしか雨が降り出していた。霧雨に煙る河畔で、それは弔いを待ち続けていた。

同室の乗客に尋ね、無事バラナシ駅に降り立つ。リキシャに乗って河岸寄りのホテル街に向かい、その内の一軒「Vijay Hotel」へ。大変清潔な宿で、175ルピー。さっそく近くのレストランで夕食を食べる。チキンヌードル、ローストチキン、それにコーヒー。中華系のレストランらしく、なかなかの味だ。146ルピーの食事は贅沢極まりないが、カレーに食傷気味の身にはありがたい。しかも、コーヒーはちゃんとしたカプチーノ。

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