僕らの海水浴

僕らの海水浴猛暑はいつまで続くんでしょうね。
というわけで、第一回目は海辺について。

先日、明石市にある某海岸に海水浴に出かけた。それほど有名な海水浴場ではなく、崖上に数件の浜茶屋があるだけの、素朴な砂浜だ。

駐車場、1000円。
更衣室、1人300円。
ロッカーは更衣室と別で500円。
貸しパラソルは800円でビニールシートは500円。

海水浴が終わってからシャワールームに入ると、ご丁寧にコイン投入機が設置されていて、温水を数分垂れ流すだけで300円。

・・・、やりたい放題の価格設定だ。日本の海なんてどこに行ってもそんなものだけれども。

こういうところで価格破壊の海の家を設置したら、さぞかし儲かるんではなかろうか。麦茶(300円)を飲みながらふと考えた。
現実にはもちろん不可能な話で、日本では海浜利用権が地元漁民に独占的に与えられるため、部外者の参入は事実上門戸を閉ざされている。それがゆえの独占経営なのであって、一般にはこういう儲け方を「超過利潤」と呼ぶ。

もともと、漁民にとっての浜辺は農民にとっての入会地と同じ意味合いを持ち、漁業を営むにあたって欠かせない資産であるという認識に基づき、使用権が優先的に供与されている。とはいえほとんどの地域ではコンクリートブロックの漁港が整備され、その必要性は減少している。漁港の整備を広く税金で促進しながら、海浜利用権を解放しないのはある種の片手落ちといっても良い。既得権益はこんな浜辺にもしっかりと存在する。浜木綿のようにしぶとく根を張って。

公共地たる海浜は基本的に国民の財産であるにも関わらず、不当に漁民を潤す私的利潤の原資となっていることがそもそもの間違いなのだろう。
しかしながら、このことを都市住民や評論家が指摘するたび、地元からは必ず以下のような反論が返ってくる。

「都会の人間は勝手に遊びにやってきて、海を汚して帰るだけだ。日頃の管理は誰がやっていると思っているのだ」
「海は地元の人間のものだ。利用したいならば、それ相応の代価を地元に落とすことは当たり前だ」

間違いではないと思うけれど、問題は市場が開放されず、自由競争がないことであろう。

整理すると、

【原則】
海浜は国民共有の財産である。
漁業利用に限定して、地元住民の優先権を付与する。

【守らねばならない点】
環境保護や海浜整備にかかるコストの補償
地元の雇用保障

【解放すべき点】
「海の家」などへの参入障壁

以上を満足する方法などいくらでもあると思うのだけれども。

一例は以下に。

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