とてもリアルなゲヱム

3月は出張で東京に何度か足を運ばねばならない様子だ。

この日記でもたびたび記し、個人的には日記のテーゼとも思っている「大人とはなんぞや?」であるが、出張に対してどのような態度をとるかも大人と子供の境目である。不肖わたくし、いまだに新幹線に乗る時には駅弁・コーヒー・雑誌を買い込み、弁天島を過ぎ浜名湖を通過するあたりでは窓際にかじりついてしまうんである。少年の心意気、の残滓とも言えよう。豊橋過ぎてそわそわしているスーツ姿があったら、多分僕です。

ここ数年の仕事ぶりを振り返るにつけ、児戯のようだと思わざるを得ない。いや、仕事の中身ではなく取り組み方が(と思いたい)。仕事はあくまでも僕にとって「スリリングで『とてもリアル』なゲーム」だ。仕事こそが生き甲斐でアイデンティティーだ、と言う人は多いけれど、いまだに僕には信じられない。僕にとってもそりゃ日常の大半を占め、かつ生活の糧を稼ぎ出す原資だけれども、『僕そのもの』ではないのだ。僕が僕たる理由は、絶対にそこには無かったし、無いし、これからも無いだろう。
殺人的なスケジュールで仕事に埋没し、己の全てを職務に捧げ、そのことに誇りを持ち、ついでに僕なんかより遙かに稼ぎが良い知人がたくさんいる。ある種の羨望やコンプレックスを感じながらも、しかし愚痴としがらみの中に自己が沈下していく彼らを見ると、もの哀しいセンチメントを覚えてしまう。同時に強い危惧の念におそわれる。
常にお遊戯だと念じ続けなければ、僕だっていつかは同じ道をたどるのだ。

戦場で死ぬのが厭ならば、常に逃げ、時に立ち止まり抵抗する。
それが僕なりのポリシー。

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