雑誌散考

父親に「日経ビジネス」をまとめて送ってもらい、ボスに「Harvard Business Review」を借りて読んでいるしがないビジネスマン見習いの身である。買うとなると高いんだけれども、是非にも読みたい雑誌はこうやって手に入れる。それが恥ずかしくないのも、まあ、二十代の特権なので厚かましくも好意に甘えてみる。
好きな(と言うと、本当は好きでもなんでもなくて必要に迫られているだけなんじゃないかと大きく疑問に感じるのだけれども)雑誌くらい好き放題に定期購読したいとも思うけれど、不況の今日この頃ではそれもままならぬ。周囲にインテリが多いことに感謝しながら世すぎをこうやって送って、そのうち定期購読して土曜日にカフェオレ飲んだりしながら読めるといいよね、と慰めてもみる。まあ、こういうのだって僕の夢の一つには違いない。一番端っこの方にあるんだけどね、と一応強調。

実は「週刊金曜日」もたまたま読むことができるのだけれども、その10周年記念対談記事の中で「リストラ・自殺・ホームレスが増える世の中なのに、誰も自分の痛みとして見ようとしない。携帯電話に代表される、バーチャルな世界に若者は逃げ込んでしまっている」なるご意見があった。
そりゃ嘘だろう。誰もが無意識のうちに『自分の痛みになる可能性』をアプリオリに見ているからこそ、みんなそれに背を向けようとするのではないか。そんなことを、お風呂の中で読みながらつらつらと考えてみる。
体制翼賛の似非エシュタブリッシュ・マガジンからインテリ気取りのアメリカビジネス礼賛雑誌、おまけに偽善と断罪に満ちた左翼本まで読んでいると、結局雑誌の価値なんて、僕にとっては現実認識に必要な批判力への一里塚ていどの存在でしかないことに気付く。だからまあ、何だっていいといえば何だっていいのかもしれない。定期購読なんかを未来予想図に書き込むのも情けないので、本日をもってdeleteしておくことにしよう。

そうはいっても月曜日の朝に「AERA」を読みながら、この雑誌にだけはシンクロしてしまう、そんな30手前の毎日なんでもある。やれやれ。

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