『結婚』の相続(団塊世代と団塊ジュニア)

『結婚』の相続(団塊世代と団塊ジュニア)喫茶店でコーヒー飲みながら本を読んでいたら、隣席のおばさん二人の会話が聞こえてきた。年の頃は60歳前後といったところ。

「自分の稼ぎで自分で気楽に生きていける、と言って結婚しないのよ。まあねえ、子供がいなくなってから、わたしも我慢して辛い思いして一緒にいるくらいなら、一人の方がよっぽど気楽だと思うから…」

前半はどうやら自分の娘か親戚の姪っ子についてのお話で、後半は自分の現状についての所感であろうと推察をつけた。聞きながら思ったんだけど、これって団塊の世代と団塊ジュニアの結婚観→晩婚化について、一類型を凝縮した示唆なんではないか。

団塊ジュニアの晩婚化の原因について言えば、不況による低所得化と将来への不安、社会的な典型像が崩れて多様化したこと、女性が自立できる収入を得やすくなったこと、(特に都市部では)消費快楽のタネが多くかつ独身者でも楽しめること、コンビニなどで生活コストが低くなったこと、などなど原因は山のように挙げられるのだろうけれども、心象風景としては「親の背を見て育つ子供」が「両親の結婚生活」に対して模倣するインセンティブを感じられないからなのではないのか。

何十年連れ添った母親が「独りの方が気楽」と言う光景は、すなわち自分の未来であり、それに魅力を感じることは少なかろう。家庭が破綻しているとかみなし子だったとかの特例を除いたら、ほとんどの人間にとって家族のモデルケースは自分が子として育った家庭=両親の作った家庭であり、それを女の側から見れば我慢と忍耐の連続でしかなく、男の側から見れば尊敬の得られぬ給料運搬人(これでは奴隷だ)を勤め上げることでしかない。
心象風景に未来を感じるなら、みんなもうちょっと結婚しそうなものではないか、と、未婚な自分のことも含めて思ったりもするんである。

でも、「夫のわがままに絶える妻」と「愚痴と文句のなか黙って稼ぐ夫」というロールプレイは、別段団塊の世代夫婦に始まったモデルではなく、僕が知るところでは、少なくともその親=大正世代でもそうであった。
で、なぜ団塊ジュニアから、前世代モデルの忌避がはじまったかという話なんだけれど、やっぱり親である団塊世代の価値観が大きく影響しているのではないだろうか。

団塊世代の場合、学生運動やらリベラリズムやら高度消費社会やら、いずれにせよそれら総体の結果として、個人の自由と快楽が社会的規範に勝ることができた、初めての世代だ。そして日本の場合、高度経済成長によって価値観の変容が急速であり、そのため新しい価値観に基づく社会的規範が合意されるのが追いつかなかったのではないかと思う。
つまり、団塊の世代は価値観として(良い意味でも悪い意味でも)個人主義を奉じているが、自分が従うべき(そして従った)社会的規範は前時代の親のものだった。だから結婚はしたものの、その社会規範的結婚と個人的価値観のギャップが、今の不満足な夫婦関係に至ってしまった、なんて仮説はどうなんだろう。我ながらいささか牽強付会だと思うけれど。

団塊世代の偉いところは、自分たちが従った前時代の規範を、子供である団塊ジュニアに押しつけなかったことにある。だから、両親の現実と、両親が理想とした価値観をバックボーンにした子供たちは、結婚に対する社会的強制をそれほど受けることなく今に至った。
子供世代らしく勝手なことを言わせてもらうと、できれば新しい価値観だけでなく新しい社会的規範も作っておいて欲しかったなあ、と思う。結婚(とその先の子作り)が社会的所作でもある以上、北欧型でも何でもいいけれど理想を実践するためのPrincipleも欲しいところである。野放しにされて戸惑っている息子や娘たちのために。

でもまあ、それはしょうがないことなのかもしれない。たぶん、彼らは彼らの経験から、いい年になれば自分の子供たちもオールドな規範に従うものだと無意識的に思っていたフシがありそうだ。で、いざその時を迎えてみると、自分たちが若い頃には従っていたルールはすでに朽ち果てており、男女平等で競争社会の中自立して消費の快楽に酔うべし、という個人的な価値観しか伝わっていなかった、というわけだ。

僕個人としては、まあ価値観が変わっただけでもマシかなとは思うけれど。規範は自分たちで作ればいいや、ってところだ。
そのためには結婚、かぁ。(苦笑)

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