陸軍史とロジカルシンキング

陸軍史とロジカルシンキング以前読んだ「昭和陸軍の研究:保阪 正康著」を再読している。

これも以前書いたことだけれども、太平洋戦争(とその前後)の歴史書なかんずく軍事史を読むのは本当に面白い。日本人的メンタリティーとエトスにもとづいた失敗が詰まっているので、教養や娯楽だけでなく、実用書として読んでも差し支えないのではないかと思う。
マクロな話をすれば戦後日本に生きる日本人として同じ過ちは繰り返しませんみたいなことになるが、それ以上に「組織の中で生きる一兵卒」として、そのまま敷衍できる話があまりにも多いことに気付く。要するに明日作る年度計画や来月作る中期計画にそのまま役立つんである。一兵卒なので役立っても、まあ自分の組織が健全か危ないかを計るくらいにしかならないんだけど。

当時の日本軍および政府組織が犯した失敗は、だいたいどの本を読んでも組織の欠陥と戦略の欠如に終始している。

・日本型(正確には日本的情緒にもとづいた)組織は、危機管理とリーダーシップ発揮に役立たない。たぶんマックス・ウェーバーが主張するような普遍性を超えて役に立たない。
・日本人(正確には、上記の組織で出世する人間)は、想定外の事態に際して戦略的思考よりも前例と内輪の情緒的論理に引きずられる。

偏見をおそれずに総論的に書けば、こうなる。当時の日本人に客観的な情報がなかったわけでもなく、馬鹿ばかり揃っていたわけでもない。意志決定にあたったほとんどの指導者が「中国戦線は泥沼で、アメリカと戦争すれば国力で歯が立たない」と認識していたけれど、年表だけを見れば猫まっしぐらに戦争している。としか書きようがない。

昭和初期のターニングポイントはいくつもあったのだろうけれど、上記のことを考えると

満州事変
日独伊三国軍事同盟
帝国国策遂行要領基本国策要綱の制定プロセス

ここらへんが現在でも通用する失敗例になりそうだと、個人的には思う。

満州事変は「石原完爾を中心とする現地の出先機関が暴走し、中央のコントロールも効かぬまま国家樹立まで突っ走った」と要約できる。
このプロセスそのものにも問題は多々あるのだけれども、満州が中国へのダガーであり、日米戦を迎えた場合の後背地であり、ソ連への緩衝地帯であることを考えれば、戦略的には合理的な解の一つだろう。植民地化ではなく五族共和の新国家を目指した点も、当初においては民族自立の潮流を先取りしたと言えないこともない。

より大きな問題は、その成果を骨抜きにして、ただの植民地支配に堕した中央政府(というか陸軍中枢)にある、と思う。石原の理想どおりの共和国を守り、日本は自らが明治以来培った殖産政策のノウハウと経済支援だけにとどめておけばよかったのだが、そうではなく、成功してしまった満州事変を受け、軍部中枢は植民地支配の旨味を満州国で味わおうとした。これなら最初から満州事変不拡大を貫いた方がまだマシだった。
トップがその成果だけに目を奪われ、ビジョンとロードマップの換骨奪胎をしたことこそが、満州事変最大の悔恨ではないか。

日独伊三国同盟について言えば、何の軍事的価値(すら)ない同盟を結んで、米英を仮想敵から顕在敵国に変化させてしまった、本当に意味のないアライアンスだった。ドイツの電撃戦を見て「バスに乗り遅れるな」という理屈が締結を後押ししたと言われるが、ドイツが席捲したのは弱小国家のポーランドと地理的・時間的に奇襲が成功したフランスだ。仮にドイツが本当に強かったとしても、極東からは離れすぎていて、なにがしかの連合作戦などとれるはずもない。お互いに共同敵国を牽制しましょう、というだけなら既に結ばれていた防共協定だけでじゅうぶんだったと思う。さらに言えば、同盟締結にあたっては、親独派というかドイツかぶれの大島中将の独断に満ちた報告を全面的に信用するという愚もおかしている。
要するに実力が不確かな相手の派手さに騙され、都合の良いことしか報告しない部下を信用し、焦って提携を結んだあげく競合とは交渉不可能な状態に追い込まれてしまったのだ。

最後に国策決定のプロセス。これこそ極めて「日本的」だと思わざるを得ないが、実際に国策要領だの要綱だのを考えたのは、実は陸軍省や参謀本部の中堅官僚だった。それも「書け」といって書かせ、できあがったものを方針として承認したというのが当時の陸軍トップだった。
せめて方向性なりとも示せば良いようなものを、精神論だけぶって尉官佐官クラスの人間に考えさせることで国是となる方針が作れるはずもない。

で、具体的には、中堅官僚として書ける無難な作文しかできあがらず、それも組織内の周囲へ対しての配慮と糊塗にあふれた内容になる。そこでは国策としてのプライオリティをつけることよりも、自己が属する組織の最大公約数を満足させることの方が大事なのだ。
個人的な所感を言わせてもらうと、当時の彼ら(軍務局や作戦班あたりの中堅官僚)がそうしたのも無理からぬ、と同情ながらに思う。彼らに与えられた権限や組織の立ち位置を思えばそれ以上を書けるわけでもなく、フレームワークとして上から何かを与えられたわけでもなく、そして仮に組織内の調和を無視した方針(戦争回避とか)を書けば上司からは落第の烙印を押されて二度と出世できなくなる。そりゃ机上の作文にもなるだろう。

そして戦争が始まってからは、彼らは上官から「貴様らの立てた方針だろう。その方針に従って勝てる戦をしろ」とか言われたんではないか。このあたりは完全に僕の推測ですが。彼らの苦悩を察するにあまりある。
しかたがないので、また机上でしか成り立たないような無茶苦茶な戦争指導をする。省部や参謀本部のスタッフに戦争責任がないとは言わないが、実際にはトップに恵まれない参謀(場合によっては中間管理職)の悲哀を感じる部分も大きい。個人的には。
何から何までボトムアップで、ストラテジーが立案できるわけがない。にも関わらず、常にトップの意志がないままに作られた大戦略が、硬直的な組織においては絶対的なものになる悲劇は、日本的な、あまりにも日本的な光景ではないか。

で、上記の結文だけを取り出してみると

・トップがその成果だけに目を奪われ、ビジョンとロードマップの換骨奪胎をした。
・見かけに騙され、耳障りの良い報告を信用し、効果のない提携を結んだ。
・トップの意志を明らかにしないままに作られた戦略が、硬直的な組織において絶対化された。

・あまりにも日本的な光景。

こういうロジカル・シンキングをたまにしてみると、現在の日本型組織の中で生きる場合にも、十分に役立つエッセンスを取り出すことができる。戦争の悲劇さや日本の罪業について反省することも大事だけれども、過去の同胞の過ちを自分の毎日の教訓にする、というミクロなことも同じくらい大事なのではないか、と思う。むしろそういう、小さなことの積み重ねの方が大事なのかもしれない。

と、以上は一般論としての教訓。具体的にどうこうということではなくてね。

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