妄想グローバリゼーション

ひところ「アフィリエイトで脱サラ!」みたいなお話がいっぱい本屋さんで平積みになり、その後は「ばっかじゃないの」という話になった。個人ブログに広告ひっつける程度で生活できるなら、僕だってそっちの方がいい。

その前に、具体的な実入りはどの程度のものなのか、というと、やってみるしか他はないけれど、それでも月に3万円、5万円ならとんでもない夢物語じゃないかもね、ていどは言えるだろう。…僕はこのブログでそんなに儲けているわけではないので、説得力レスで恐縮ですが。

で、話はベストセラーになった「ウェブ進化論」になる。この本には「Googleが変えた社会」の一例として、生活に必要な絶対額が少なくてすむ発展途上国の人が英語圏向けアフィリエイトサイトを作り、adsenseをぺたっと貼り付けたらそれで食べていける、なんて話が紹介されていた。
つまり、インターネットというツールが情報流通やメディアスペースの国境障壁を取り除いたおかげで、先進国と同じ土俵で勝負できるようになる。そして、それは発展途上国に産まれたからという理由だけで疎外される現実をなくすことだ、ということになる。是即ちグローバリゼーションなり。

そこまでは100%受け売り。いまさらなお話。

さて視線を変えてみれば、ここで新たな労働者が参入してきているわけだ。ゼロサム均衡な限定モデルでいいのかは疑問が残るけれど、おそらくはこのグローバル化によって奪われる労働が発生しているはず。それは何かといえば、情報流通産業の労働市場だ。

・マスメディアをネットが駆逐(するかもしれない。そのパイの一部くらいは奪う)
・ネットメディアの中でも口コミなどのLong Tailが台頭(このセクターは薄く拡散する)
・Long Tailは個人でも運営できて、それは国境を越える

こんな感じで。

暴論を恐れずに書いてしまうが、第三次産業と呼ばれるものを大雑把に分けると「モノの流通」にたずさわるセクターと、「情報の流通」にたずさわるセクターにわけられそうだ。こと先進諸国ではここが一番労働市場が大きい。
そのうち、モノの流通という仕事は「マクドナルド化」によって、労働力の代替がどんどん効きやすくなっている。

経済学習資料「マクドナルド化社会」(ホンマノオト)より

マクドナルド化は、簡単に言うならば、人間の技能を機械(人間に寄らない技術体系)に置き換えることで、いかに合理化するかというものである。
(中略)
しかしながら、マック職に要求される技能は、高い水準の技能と教育を要求するはるかに望ましいポスト産業的な職業を手に入れることや、そうした職場で働くために役立つとはとても言えない。そもそも職業というものが思考力や創造性を要するとすれば、ルーティン化された(決められた)言動やマニュアル化された相互作用での経験は何の役にも立たないであろう。

それに比べれば、情報流通産業はまだマクドナルド化には至っていない。例えば日本で週刊誌やら情報誌を作るときには、読者=日本人が望む情報の編集という作業が必要で、これは暗黙知のほうに属しているため、誰にでも置き換え可能な仕事かといえばそうではない。代替しにくいからこそ優位性があるのだ。かつ市場は鎖国的。日本語が分からない人には日本市場向けの情報発信ってできない。できなかった。

それが少しずつ崩れはじめている。その一番単純なものが、Googleのadsenseだ。「何が望まれる情報(金に換えられる広告)なのか」というのはGoogleが決めてくれる。
そして、APIによるデータ公開(コンテンツがタダで開放されるなら、これはチープ革命の一種だな)がはじまる。そして、ネット上では人の行動をターゲティングすることが容易であり、かつそれをデータマイニングとして分析することも可能になりやすい。

仮にアフリカや西南アジアの最貧国に住んでいて日本語なんてこれっぽっちも分からなくても、ネット回線とPC一台、それに英語とある程度のITスキルがあれば

1:HotpepperのAPIやらAmazon Web ServiceやらのAPIを叩いてサイトを作る。
  →雑誌でいえば取材。
2:サーバログを見てサイト構成を最適化していく。
  →雑誌でいえば編集割り付け
3:adsenseを貼り付ける。Amazonならアフィリエイトは自動的に入ってくる。
  →雑誌でいえば広告プランニング

ここまでできる。もちろん理論的に、というレベルだけど。

こうなると「日本人であること」によって、特権的に情報流通産業に従事できるわけではなくなるかもしれないのだ。こうして農業鉱業製造業だけでなく、全ての労働市場は、生まれた場所に関係なく、生活費用がどれだけ必要なのかも関係なく、万人に開かれる。そして世界は平準化する(銀行口座の振込額が)。
共産主義者が泣いて喜びそうな結論だな。サヨクの人たちはアマゾンとかグーグルを叩いてはいけません。世界が平等になるための道のりを歩いてくれているのだから。高度資本主義社会万歳。

ところがこの中でも平準化しない存在がある。
それは、こういう仕組みを作る人たちだ。
mcdonaldizedされたりGooglizedされたりする側は辛いことが多いけど、そこで労働の代替を起こして余剰利潤を創出する方に回りさえすれば、そいつは親の総取りができるってもんだ。さっきのマルキシズムな話でいえば、ここで初めて革命ってものが起きるらしいのだけれども、

先ほどと同じ経済学習資料「マクドナルド化社会」(ホンマノオト)より

もう一つ別の水準で現れるものとしては、脱人間化された状況のことである。機械化が進むにつれて人間の思考を制御し、考える必要をなくす点である。例えば、ファーストフードレストランでよく見かける光景としては、従業員たちの仕事振りである。フライドポテトにしても、飲み物にしても、ハンバーガーにしてもそれらを作る手順や作られるものは毎回同じである。機械化されることによって、従業員(特に地位の低い従業員)が何も考えなくても自動的に商品が作られていく。こうすることで従業員たちは何も考える必要がなくなる。これはマンハイムの言葉を借りるならば「思考能力の喪失」であり、言い方を変えるならば、機能的合理性の浸透によって実質的合理性が低落してしまうということである。そしてそれは国民的アイデンティティと個性の喪失という世界を生じてしまうことになる。

実はマクドナルド化で革命も起こす気がないほど、人を機械化することも同時進行していたりする。一石二鳥の進化の過程。正直、マルクスより資本家のほうが賢かったんでしょうね。マルクスは善人だなあとは思うけれど、おおかた悪人のほうが賢いって相場は決まってるもんな。

アドセンスは21世紀のフルブライト留学制度だ(アンカテ)

発展途上国の人が、日本語のコンテンツを作ることを支援し、そこからほんの小遣い銭程度のお金が渡せるような仕組みを作れば、ここで私が出現を予想したエリート層は、日本語でネット経済圏に参入し、彼らの尊敬と感謝の念は、2ちゃんねるやはてなに向かい、集団知のリソースとしてもそこを第一に考えるようになるだろう。現地の人が日本語で「人力検索はてな」に自国の政策課題について聞いてきたりしたら素敵だと思うし、かなりの難題も実際に解決するだろうし、日本にもはっきりした実利がたくさんあって国益にもかなう。

あれ? なんだか僕がひどくひねくれたことを書いている気分になってきた。何が起こるかはアンカテさんと同じことを言っているんだけど。表裏一体なのかなあ。

とはいえ、ここまでぜんぶ机上の空論です。今日のところは。

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