解放宣言

久しぶりにタイランドへの独り旅。

はじめの1日、乗り物の中でも、遺跡をたゆたうように歩いても、田舎町の屋台で僕の大好きなビーフンを拙い片言のタイ語で何とか注文して味わえども、僕の体は常に違和感を訴え続けていた。
理由はすぐにわかる。湿った空気の中でそよぎ流れる風のリズムに、僕の精神は抗体拒絶を起こしかけていた。たった数年で、僕は亜細亜に流れる風のスピードに違和感を感じるくらい、ちょっと遠くに来てしまっている。日頃の営みは狂時計の中で繰り返される戯画演劇の1シーンだったことに、僕はタイに来るまで気づくこともなかった。それでいながら、僕は日本の毎日でさらなるスピードを求めていたのだ。
ねっとりと舌にからみつくジューシーなパパイヤを味わいながら、僕はそれに気づく。
そして知らぬ間に、体内時計が、脈拍が、ゆっくりと風にシンクロしていく。
出がけに空港で買った時計だけはいつもと変わらない秒針を刻んでいるはずだけれども、文字盤も心なしか優しげに見える。

僕の時間は狂ってしまっている。
日本では誰しもがそうなのかもしれない。豊かさの代償には相対的時間を売り払わねばならないのかもしれない。しかし誰がどうであれ誰が何を言おうとも、僕の時間がいささか損なわれつつあるのは、少々圧倒的な、僕にとっての実感だ。

  ・・・・・・・・・・・
僕は自分を損ないたくはないのだと、ささやかに思う。
たぶんそんな感覚を無意識のうちに求めて、僕は亜細亜に流れてくる。椰子の実のように。
もちろん、すぐに家路につく、ゴム紐つきの椰子の実なのだけれども。
それでもこの7年で、5回もタイに訪れた計算になる。

タイに着けば必ず足を向けるのが、外国人向けの安宿街として知られる「カオサン・ストリート」。それは初めてこの国を訪れた十九の時だって今だって変わらない。
しかし、カオサン・ストリートもずいぶんと変わったものだ。小奇麗なカフェが小路に軒を連ね、小洒落たクラブが出来て、かなり高級なホテルがオープンして、本当に六本木みたいだ。おまけにそこは僕ら外国人が小汚い格好でうろうろするだけではなく、おしゃれなタイ人たちが集うホット・スポットと化している。昔からそうだと言えばそうだったのだろうけれど、加速して僕の知らないカオサンになっていく。加速させた一因のほんのちょっぴりは、もちろんこの僕にもあるんだろうけれど、身勝手なもので、悲しい。
7年間通い続けた、青春のメタファーとしてのこの街が、既に終わりのベルを鳴らしているのを感じながら、僕はぼんやりと人と車の流れを眺めていた。

バンコクから列車で一時間くらい、ナコーンパトムという町にあるタイ最大の仏塔を見物に出かける。
そういえば、ここも7年前に訪れたことがある。記憶はおぼろげだったけれど、何とはなしに街の雰囲気は思い出す。仏塔にふさわしい、大きな仏さまを拝んで境内を散歩している途中、急に胸が締め付けられ、息苦しくなる。これはメタファーでなく、本当に実際的に、僕の胸が痛むのだ。
ありきたりにいえばこれこそ、切なさという感情、だと思う。

旅という異質性の中で、メタファーとしても実際性としても、僕は喪失し続ける何ものかを探そうとしていた。
あまりにも漠然として、同時に必然性のない、おぼろげな行為。
だけれども僕は、何ものよりもその何ものかを求めている。

・・・・・・
主観的に健全でありたい。
時間が歪んだダリの絵のような日常は、まっとうな健全さでは少なくとも、無い。
願わくば、僕は健全な時間が流れる毎日の中で生きてみたい。
他の全てより、自由を愛していたい。

再び旅、それも生活と錯覚するほどの長い旅に出る日が来ることを祈りながら、僕はバンコク最後の夜、メナムの流れに向かって、乾杯することにした。

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