真珠のようなもの inside me.

真珠のようなもの inside me.仕事はできるし人当たりもいいし、と、そんな人と近しくさせていただいている。話をすれば僕にとって大変示唆に富む内容も多く、尊敬することもしばしばだ。と書いて舌の根も乾かぬうちに、仮にこの人の直属スタッフになったら辛いだろうなあ、と思うんである。実は尊敬していないのかもしれぬ。具体的な局面や状況ではなるほど、と思うけれど、常に行動をともにすれば、耐えられなくなりそうだ。

こういう人に評価されるとどうなるか、といえば、毎日プレッシャーとストレスを感じる羽目になる。本人に失敗が少ないせいか、他人の失敗に対してドライであり、評価されていればいるほど、常にその評価相応のアウトプットを求められ、一つの案件でもミスをすれば、あっさりとその評価を下げて省みない。まあ、歴史上の人物に喩えると織田信長タイプだ。少ない経験のうちでしか語れないので、必ずそういうものだとはとても言えないけれど。

昔、能力なんて珠のようなもので、すり減ることをいかに防ぐのかが人生だと思っていた時期があったけれど、最近はちょっと考えが変わり、志やら誇りやら情熱やら、とまあ単語で並べてみれば青臭いにおいがぷんぷんするもろもろこそ、まるで真珠のようなものだと感じるようになった。真珠は大きく育つのにえらく時間がかかるけれど、壊そうとすれば案外に簡単だ。だから、真珠を少しずつ大きくしていくことも大事だけれど、ある意味ではそれ以上に、すり減る危険からすり抜けていくことのほうが重要なのかもしれない、と。

で、話を戻すと、冒頭のようなタイプの人のそばにい続けると、本当に自分の真珠みたいなものが、気がつけばすり減るようなことになるんだろうと、思う。できればすり減らさずに日々をやり過ごしていきたいものだし、その意味では、今案外といいポジションにいる。
すり減らす人はちょいと遠いので、磨耗しない程度の研ぎ石という距離。ついでに、こんな感覚を共有してくれる人のそばにこそ、いたいものだとも、思う。

話は変わるけれど、最近、めっきりあちらこちらで「怒らない人、たまには怒ったほうがいい人」という評判を毀誉褒貶なかばしていただくことが多くなった。それの三分の一くらいは回避で、もう三分の一くらいは性善説を信じていて、残った三分の一くらいは、怒ることで自分がすり減ることがとっても嫌なんだろう、と分析してみる。ついでに、実のところは他人に興味がないから、いつだって感情をぶつけたりしないのかもね、という説も脳裏をよぎる。
……途中まではいい話だったのに、ここまでくると実は己がものすごく保身的で「負けない戦略」を採っているんではないか、と気づき始めて、いささかげんなり。

「負けない戦略」を大事に抱えるなんて磨耗の終着点もいいところだろ、と、もう一回自分に言い聞かせて奮い立たせようとするいっぽう、ほんとうはほかの解釈が成り立つのではないかしらんと、自己正当化を探してみる夜更けです。

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