世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド昭和51(1976)年の生まれなので、今年で34歳になる。気がつけば青年期はとうの昔に終わり、残念なことではあるがそろそろ「壮年」というカテゴリに入り、あと10年もすれば名実ともに中年である。結婚もして、意識的にも無意識的にも、己の立ち位置の変化を自覚せざるをえない。

日常で何が変わり始めたか、というとこれはまずもって仕事のしかたが変わり出している。ここ5年ほどの給与明細を整理していたのだけど、二十代から比べるとまず勤務時間がそうとう短くなった。確かに、タクシーで帰ったりすることが皆無だ。
それ以上に大きいのは、自分のポジションの変わりようだ。自分が与えられたタスクをどうこなすか、ということがほどほどにできるようになって、少しひと息つきながら、さて次はどういうインプットとアウトプットを心がけるべきか、なんて、自己啓発本に書かれているような通俗なことを考え出し、そんなものに結論を出すヒマもなく、「自分が成果を出す」ことに加え、「周囲が成果を出す」ことをがくんと求められるようになる。気がつけば、本当に組織人の階段を歩んでいるのだ。
そして、それは意外に難儀なモノなんだな、と痛感する。

社会に出てからこのかたというもの、誠に周囲の大人たちに守られてきた。父親のバックアップを受けながら、前職では社長や直属の部長に仕事のやり方をたたき込まれ、今の職場でもそれほど怒られることなく、好きに仕事をさせてもらえている。いざ自分がその立場になり気づくのは、プレイヤーとしての課題解決能力と、マネージャーとしての育成能力はまったく別のものだという、よく言われる話をようやく肌で感じる。えらいもんだなァ、と、あらためて周囲の先達を尊敬するのだけれど、自分がそのポジションを担えるのか、というと、とんと自信がなく途方に暮れる。就職氷河期世代かつ成果主義世代なので、旧来の組織のように後輩を育てるという動機づけの訓練があまりなされておらず、ほんとうに「ダイヤモンド」や「東洋経済」に書かれているとおり、僕らの世代は悩みがつきぬ。

そんな中で上司に面談されたり、飲みに行ったりするなかで、戦う姿勢や妥協しない姿勢が足りぬと叱咤を受ける毎日。こうなるとスキルの問題ではなくマインドの問題ではないか、スキルなら習得すればよいのだけれど。
…という話を妻にしたところ、彼女が深くうなずいて云うには「その上司の言いたいことにとても共感できる。なぜこんなに八方美人で丸く収めようとするのか、それを問い詰めたいね」と。

さすがに、私淑する上司と伴侶たる妻の意見が一致すれば、わりに気楽な僕でも考え込む。そんなに丸い人間でもなかったはずなんだが、結局のところ過剰適応しているのかもしれぬし、腹八分の生き方でほどほどにやっていけることが分かり手抜きをしているのか、ひょっとすると他者への関心が薄いがゆえに外部アクションが少ないのか。どれもこれも合っているようで、よく分からない。木陰に守られるような道を歩いてきた反動で、それなりに坂道の陽射しは強い。

Twitter – 4/4 午後 7:08

「どうしてこんなに治らんのやろね」と呟く祖母の肩を抱いて、早く良くなってくれんと土産も持ってこれん よ、と笑って帰る。涙こらえる。僕の声が震えたのに気づいただろうか。昔から、バァちゃんには、何も隠し事ができなかったんだけどね。

話は変わるが、祖母が肺がんになり、すでに余命いくばくもない。5歳になるまで祖母と起居を共にしており、ほんとうにひとつ床に入って寝起き、可愛がられた祖母だけに、いざ肺がんだ、と聞いてもぴんとこない。90歳になるのだが、もうこの14、5年は「いつ死ぬか分からん歳になった」と、訪ねれば茶を飲みながら語るのが決まり文句になっていただけに、祖母が老衰することは何か時候の挨拶みたいなもので、次の盆暮れに帰郷すれば、また変わらぬ一年が繰り返しではじまるくらいにとらえていた。ということに、この期に及びようやく自覚した。
今月のはじめに妻と病床を見舞ったとき、もう服を着るのも床から起き上がるのも難儀になり、あれほど多弁だった祖母がかすれた声で息を継ぎながらしゃべるのを目の当たりにして、やっと時の流れが取り返しのつかないことになっていることに気づいた。

「ちゃんと東京でやっとるか」

祖母がかすれた声で僕に尋ねた台詞を、帰京した日の深夜に独り、反芻する。老病の床につきながら祖母は壮年の孫の日常を気にかけ、まだ僕は心配するよりも先に祖母の痩せた体に驚くばかりの邂逅だった。

本来ならば、もう心配するのは僕で、礼を言うのは祖母で良いはずではあるが、そうはできない、三十四年間のコードがあるのだ、祖母と僕が重ね続け、どこかしら永遠に続くような見守る祖母と成長する孫、という二人のコード、それは余人に理解してもらうことが困難な、僕にとっては全人生を通じて底辺にあったコードであるし、祖母にとっても後半生の三分の一を規定したコード。
僕ら二人の感情を率直に言えば、悲しみでも諦念でもなく、困惑、と呼ぶのがもっとも近しいはずだ。

「何にも心配せんでええ、ばあちゃんが応援したるからな」

この台詞はいつのものだったか、中学校に上がったときか、大学に進学したときか、言われてからこのかた思い出したこともない記憶が不意に夜空にこだまする。僕は本当に久しぶりに、泣いた。歯を食いしばって嗚咽した。悲嘆か、といえばそうかもしれないけれど、それ以上に僕を衝き動かすのは、怖さといったほうがはるかに適切だった。コードが喪失されようとしているそのきわに至って、僕はそのコードに変わる何ものかを作ろうともせず依存していたことに気づき、祖母がいなくなった世界が始まることへの恐怖が涙を呼ぶのだ。

しろばんば – 井上靖

さあ、いよいよこれから、自分はひとりだ!と、洪作は思った。父も母も弟妹もあったが、しかし、それとは別に、洪作は自分がこの世にひとり取り残されてしまったような気持がした。

中学生の時に読んだ小説だが、少年が老婆に育てられ、その死を迎えるときの描写に、僕も自分を投影して悲しくなったことを思い出す。しかし、それは悲しみだけの感情ではない。忽然と自身のありようが変貌せざるを得ない瞬間の不安でもあったのだ、と思い至る。

不安に対して備えることもなく暮らしてきた僕にとって、いまだに祖母のいないこの世は想像できない。夜尿症の始末から小遣いの無心まで、面倒を見られるのが僕の役割だったのだ。幼いときも、今も、僕は無体に泣く。祖母に泣きつく。
それがどれだけ無情なことであるかは頭で理解できていても。つまりは死への拒絶と言ってもよいのかもしれない。

この連休、実は海外旅行に行くつもりの準備をしていた。ふつうならばすべての予定をキャンセルするべきなのだろうけれど、いまだに僕は何の手配もしていない。その瞬間のためになにがしかの行動を起こすのが嫌で嫌でたまらない。それを待つことを忌避したいのだ。普段と変わらずへらへらと旅に出て、帰ってきたいと思っている自分がいる。
日常に回帰すれば、祖母と僕のコードも相変わらずの安寧が得られる。とまでは思わぬにしても、喪失を前提に待つことが喪失を呼ぶのではないか、と、呪術的な想念が去来する。

と、ここ一ヶ月ほど、大げさに言えば、人生でのあり得べき有り様について考えている。

僕はまだ、その世界での身の処し方を知らない。

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