1997年1月15日、一応記念しておきたい私の成人式の日である。すでに誕生日は昨年迎え、15日にどうという意味もないことは重々承知だが、それでも感慨はひとしおである。
当日、「師匠」、「おっさん」、「ピンキー」と朝の8時30分に十三(大阪近辺にある阪急のターミナル駅)で待ち合わせ、マクドナルドで軽い朝食をとってから阪急京都線に乗り込む。朝からなぜか超ノリノリ。浮かれている。人目もはばからず電車の中で馬鹿騒ぎしたりふと思いついたように真面目な清談風の語り合いをしたり、あっという間に大宮に着く。ゆうべはぐっすり眠っていたはずのピンキーは、車内でもぐっすり寝ていた。
市バスの一日乗車券を買おうとしたが、四条大宮近辺では買えない!なんということだ。売店のおばちゃんに訊ねたところ、壬生の車庫に行かねばならないとのこと。壬生・・・よく京都の市バスに乗ると、「みぶ」というバスを見かけるが、まさかそこに行くことがあろうとは思わなかった。歩いて数分、二条の方に向かい、めでたく切符を買う。京都の町は、少しはずれると地方都市のそれと変わるところがない。雑然とした町並みは、空襲を逃れたせいなのだろうけど、しかし京都だぞ、おい。
とにかくすぐ来たバスに乗ろうとアホなことを言いあってはみたけれど、すぐ来たバスは京都の南の工業団地行きだった。たんぼと淀川の他に何があるというのだろう。さすがにそれはまずかろうというわけで、とにかく北に向かうバスに乗る。二条駅の前を通るが、あの厳格な構えの駅舎は味も素気もない高架駅に変わっていた。これは犯罪だと言わざるを得まい。最近建てられたとおぼしき瀟洒な建物や町並みのほとんどがそれに類したものばかりである。
友人が住んでいるはずのマンションが見える。何とかという大学に進学したはずではあるが、風の噂では化粧品の訪問販売をしているらしい。生々流転だ。
記憶が確かならば堀川今出川のあたりに京菓子で有名な「鶴屋吉信」の本店があるはずなのだが、残念ながら見あたらない。あてもないので、歩いて北野天満宮に行く。師匠が「子供の頃、おふくろが厳しくて、屋台で買い食いをしたことがない」と、屋台に惹かれた様子。「じゃあリンゴアメでも買うか?」とおっさんがいうが、さすがにそれは・・・と躊躇する。「今度祭りに行くときに、電車賃の他には500円玉だけ握りしめていったらどうですか」と僕がいうが、「それもなあ」。結局買わずに参拝して引き返すが、本殿は工事中だった。やたら成人式!という感じの振り袖姿が多い。
地図をみていたら、おっさんが「猫寺」に行きたいとのたまう。師匠は「建勲神社って、誰がまつられてんねやろ」と疑問を呈す。大まかな地図だけをたよりに細道を歩き、人に聞いたり誰もいない交番で勝手に地図をみたりしながら猫寺にたどり着く。猫が美人に化けて枕元に立ち・・・というありがちな逸話が名前の由来らしかった。やたら人なつっこい猫がじゃれてくる。飼い猫らしい。それで納得して、次は建勲神社を探す。
建勲神社には、誰がまつられているのだろう?乃木希典。東郷平八郎。京都だけに岩倉具視。大穴大久保利通。
その実は織田信長。「天下を統一し万民に平和をもたらし・・・」うんぬん。だまされた気持ちで山を登り、本殿に行く。見晴らしの良い場所で気持ちがよい。宝物殿(非公開)には信長公記の原本や今川義元の太刀など、なんでこんなしょぼい神社にそんなすごいものが!というわからぬ神社だ。しばしの休息の後、山を下りる。途中でみんな揃って携帯用灰皿を買う。
大徳寺のそばに着いたのだが、みんなどうでもいいや、ということで素通りし北大路までバスに乗る。北大路まで行けば何か食堂があるだろう。時間はすでに12時をまわり、お腹も空いている。師匠が、「コーヒーとサンドウィッチがいい」と言うのでそれらしき店を探すが、飯が食べられる喫茶店にろくな店はない。賀茂川も越えて歩くと、「MILCOOL」という名前だけはしゃれた喫茶店がある。メニューをみると
原田君の大好きなオムライス
みつる君ランチ
香織ちゃん定食
という、我々の心の琴線に触れる赤瀬川源平的な店である。入らないかんやろう、と、常に迷わずいってまえ、いつでもどこでもノリノリの4人はためらわず店にはいる。するとバイトのお姉ちゃんに、「奥のゲストルームへどうぞ」と招かれてしまう。喫茶店のくせに個室があるのだ!
もっともタバコ吹いの4人が狭い個室に入り、ややエアコン利きすぎの室内で煙を充満させると、カラオケボックスとたいして変わらない。やたら懐かしい曲がかかる店で、ボウイのマリオネットなどを聴きながら、
師匠 ドライカレー
「残り物のカレーにご飯を入れてガーッとつくるドライカレーは最高や、ここのはまさにそれ」
おっさん カツカレー
「カツカレーなんてここ数年食うてへん、当店自慢やし。(何で自慢なんですかねえ、と僕が訊くと)そりゃ兄ちゃん、ヒレに決まってまんがな。ヒレでんがな」
ピンキー 原田君の大好きなオムライス
僕 山菜ピラフ
「今日は実は精進断ちしてるんですよ、だから肉は駄目。あっ、卵がのってる、でも卵はいいの。お坊さんだって鶏は四つ足じゃないって言って食べてたし」
小腹がふくれてつぎは深泥池(みどろがいけ)に向かう。すでにみんな、笑いすぎで頬の筋肉がひきつっている。時間はまだまだある。
深泥池、というのは関西では有名な心霊スポットである。師匠が朝がた、地図を見ながら「深泥池にいっぺん行ってみたかったんや」と言うので京都盆地の北にあるそこを目指す。北山の瀟洒な犯罪建築が並ぶ通りを、地下鉄工事のため渋滞する道から眺めながらバスに揺られること20分、着いたのはうら寂しい農村地帯だった。風が冷たい。北山を越えるとやはり寒さが違う。
深泥池自体は茫漠と広がる沼辺で、確かに何かでそうな気配だ。道路のすぐそばまで水が来ている。鷺や鴨が遠目に見え、季節柄枯れ草が水際を覆っている。おっさんが写真を撮る中、沼の縁に建つマンションを眺める。閑静には違いないが、こんなところに住む人がいるのだろうかとも思う。えらく道が狭い。
同じ系統のバスでもと来た道を引き返し、出町柳(京都北東部の交通拠点)でバスを乗り継ぐ。次の目的地は銀閣寺である。
銀閣寺に行くのが目的ではなく、ここから始まる哲学の道を歩く。西田幾太郎、河上肇といった錚々たる京大学派の先達が思索をしたという小径だ。「京大の学生もここでものを考えたんでしょうねえ」「でもデートコースにぴったり」「たぶん南禅寺あたりで同女(同志社女子大)の女と待ち合わせちゃったりして」と、あくまでも我々は俗っぽく散策をする。
ずうっと歩いて、南禅寺のそばに来るとかの有名な「叶匠寿庵(かのうしょうじゅあん)」の茶店がある。大津に本店のある和菓子屋で、僕が食べた量産型和菓子では日本一うまいと言っても過言ではない。是が非でも行きたい場所であるので、わびさびのある建物の門をくぐり、1030円を払って茶室に案内される。薄茶と羽二重餅。茶碗やお菓子や掛け軸や生け花の講釈を聞かされながら賞味する。牛蒡と人参を甘く砂糖で漬けた細切りを、少し味噌の香がする餡とぎゅうひでまとめたまことに上品なお菓子だ。美味しい。甘いもの嫌いの師匠がうまいと言ったのだ、推して知るべしであろう。建築学をかつて本気で目指した師匠が、建物について仔細に観察をする。庭に出て桧皮葺きの建物なんぞを見、厳粛な雰囲気で飲んだお手前もあいまって、みんな粛然とした面もちで庵を後にする。「なんて親孝行な息子やろ」とつぶやきながら、おっさんがおみやげを買った。
次は、南禅寺で座禅である。だいたい、すでに4時をまわっているがこの座禅こそが今日の最大の目的なのだ。
おっさんが、「森島、どこで座禅すんの?」と訊ねるので、「え、どっか適当な枯山水の庭園の縁側で座禅しようかなあと思うんですけど・・・」と答えたら3人に爆笑される。
「それは違うやろ」
違うも何もまさか板張りの本堂で本気で座禅して、棒でぱすーんと打たれるなんて全然考えちゃいない。「ま、気持ちの問題やからな」と師匠とおっさんが言うので、「みんな、座禅した後の俺を見ていてくださいよ、大悟してくるんだから」と反論する。
「何分やんの?」
「・・・3、40分」
「靴下脱ぐんやろうな」
「・・・マジでですか」
それはいいのだが、南禅寺の僧坊はすべてもう閉まっていて、描いていた「わびさびの中、深く物思いに耽る」というのが無理になっている。「ショックだいまる状態」で仕方なく境内をぶらぶらした後、3人と離れ、あの立派な山門の下で座禅を組む。スーツを汚すわけにはいかないので、下に鞄の中に入っていた「SPA!」を敷いて正座する。・・・ところが始めてものの数分、老夫婦が近寄ってきて、
「座禅してはるんですか?」
「ええ、今日が成人式なので、少し心を見つめ直そうと」
偉いわねえ、と言いながら、婦人の方がハンドバックをごそごそやる。おお、ひょっとしてお小遣いなんかもらえちゃったりするの、と浅はかな煩悩にまみれた期待をするが、彼女が取りだしたのは飴玉だった。「これはね、赤、青、ピンクの三色をとってね。そうすると幸せになれるの」と言うので言われたとおりに3粒取る。なんだか、嬉しいと困惑とよく分からぬ気持ちになり、ともかくも座禅を始める。
とにかく心を無にしよう、と思い、頭の中の想念を追い出そうと頑張る。人の目も何も気にせず。良い場所で座禅ができたものだ。人の目を気にせずに無我になるというのは素晴らしい修行だ。難しい。あまつさえ、石畳の上は死ぬほど冷える。それでも何とか二十数分の座禅を終える。
「無我は大悟に似たり」という有名な文句があるが、僕には無理だなと悟る。これこそ野孤禅も甚だしいのだろうが、座禅を終えて「煩悩の世界に生きよう」という決意がふつふつと湧き上がってきたのでまあよしとしよう。
座禅を終えて、南禅寺名物の湯豆腐を食べに行く。老舗で有名な「奥丹」である。昔もここで食べたことがあるが、今回もいうことのない味だった。胡麻豆腐。湯豆腐。精進天麩羅。とろろ御飯そして酒。「般若湯でんがな」と腐れ坊主のようなことを言いつつおちょこをぐいっとやる。幸せいっぱいで、煩悩の世界の麗しさを実感する。
「坊さんってこんなうまいものを毎日食うとるんかい」という暴言を吐きつつもお腹いっぱいになるが、師匠が「次はすき焼き」ととんでもないことを言うのでとりあえず見に行くことにする。バスで三条に出て、木屋町河原町新京極の繁華街を歩くことに衆議一決。「マハトマ・マハラジャ」という、インド人もびっくりのとんでもない名前のラブホテルがある。唖然とするが、「絶対これって、『おもろい名前のホテルがあるやん、どんな風になってるかちょっと見ていかへんか』っとゆうて連れ込むに決まってんで」と師匠が語るので、なんだか妙に納得してバスに乗る。平安神宮や国立美術館など、岡崎近辺を迂回しながらバスは三条に向かう。
その後、寺町の「キムラヤ」で、すき焼きを腹一杯食べて京都を後にする。
そんな成人の日。