(太字:当時の日記より)
(細字:注釈)
この日は朝靄の中、ふらふらと東城という山中の町並みを歩く。それが一日の始まりであった。山間の盆地ゆえ朝は霧が深く、狸に化かされたような幻想的な光景に出会う。通 学の高校生たちと一緒に始発の列車に乗り、広島県三次市まで中国山地を進む。その後、江川沿いに島根県の海岸部にある益田まで移動。
09:39
滔々とと流れる江川を見ながら。石見瓦は特色があるという、とは覚えていたが、絵の具のような茶色、チョコレート色の茶色が多い。しかし真っ黒もある。石見瓦は茶色ではあるまいかとは思うが、断言できない。三次で買った新聞を一時間かけて読む。
11:15
(電車の走らない益田駅に関して)架線がないと駅構内は広く見える。(降車時には)みんなゆっくり降りる。駅に列車が着いてから、席を立つのだ。
日本海の荒波が車窓から見える。やはりこの海には陰鬱な曇り空が似合う。
鈴木牧之の「北越雪譜」を思い出させる。鈴木牧之は裏日本の視点から「表日本の人間はええこっちゃですなぁ」と喝破したのだが、私は表日本の人間なので、ただただ通 り過ぎる光景に、素直に感動するだけであった。出雲市まで特急に乗り、そこから一畑電鉄で出雲大社に向かう。
時刻不明
大社は立派だった。
と一行書かれているだけなので、たぶん何の感慨も催さなかったのだろう。神代には何十メートルの高さの上にそびえ立つ神殿であった、という言い伝えがあるが、現在の出雲大社はごく普通 の立派な神社である。
出雲の神々の伝説には少なからず興味があったのだが、遺跡のどれもが「タクシーで○○分」と書かれていたので、金のない私は諦めざるを得なかった。おかげで、未だに「出雲」は「さえない田舎」以上のイメージがない。困ったことである。
21:25
出雲市の羽根屋で食べた「御膳蕎麦」、献上蕎麦の看板を掲げているだけあってうまかった。(中略)
難行苦行粗食に不眠。物好きな求道者のよう。
なぜ名代の蕎麦屋で蕎麦を食べておきながら、「粗食」と書いているのかは、今の私にも理解できない。困ったことである。列車に乗って移動しているだけなのに、難行もへったくれもないものである。
このあと米子まで移動し、銭湯で一風呂浴びてからまた「だいせん」に乗る。剃刀の刃を替えてひげを剃った、という記述があるので、ごていねいにも10日の放浪に剃刀の替え刃まで持参したようである。用意がよすぎるのも困りものである。
今日の使用金額 3352円