煙草。それもうんと細い「カプリ」。普通に手に入る煙草では一番細いんじゃない
だろうか。
手にしたのは、ほんの偶然だった。僕の友人が、ある一時期いろいろな銘柄の煙草
をとっかえひっかえ吸っていたことがあり、僕も物珍しさから、何本かもらい煙草を
したことがあった。そのうちの一つ、この「カプリ」は、煙の味が気に入ったことも
あって、しばらく経つと僕の指定銘柄、になった。
実家に帰ったり、田舎に行ったりすると、そこらの自販機ではなかなか売っていな
かったりする。そういう時に禁煙すればいいのだろうけれど、どだい無理なので「マ
イルドセブン ライト」なんかを買う。
違う。
煙草はその煙の香りで選ぶのが普通なのだけれども、細い「カプリ」を僕が手放せ
ないのは、唇に与える感覚が他の煙草とはまるっきり違う、ということも大きい、と
気がつく。あの細さに慣れると、他の煙草はどれも皆、ごつごつとした違和感あふれ
る異物と化してしまう。
そしてカプリを帰る環境に戻ってきて、自販機にコインを入れる。一服つくよりも
先に、その口唇感覚に、まず安堵する。僕にとって欠かせないもの、それはこの感覚
だ。
良く煙草を吸う人は、フロイトの謂う「口唇性欲期」にとどまっている、もしくは
その幼児の感覚が忘れられない人だ、と分析されたりする。カプリの細さに拘泥する
自分を見て、それは正しいのかもしれないな、と思ったりもする。
余談だけれども、「マイルドセブン」系の煙草って、とりあえず日本人のスモーカーなら多くの人が許容できる煙草だろう。あの煙草って、そういう意味では懐の深い娼婦、みたいな気
がしないだろうか?
考えすぎかなあ。