イドからの信号

今日は大事な所用があったので、昨晩はきちんと目覚ましをセットして寝た。

起きたら10時の約束なのに、時計は10時半。茫然としながら、必死で言い訳を考えた。胸がきゅうんと痛む。学生の頃、宿題を忘れたり忘れ物をしたりした時に襲う、あの痛みが。

・・・という夢を見た。実際に起きたら6時半だったので、ゆっくり身支度をしてから出掛けて所用を済ませたのだけれども、しばらくは夢の中で感じた、あの厭らしい感覚が離れなかった。だいたい、遅刻の夢を見て飛び起きるのが普通だと思っていたのだけれど、今回に限っては夢がその後も継続し、夢の中で罪の意識を十二分に味わう羽目になった。精神的自傷のようだ。

おちゃらけた人生を送っているわりに内省癖が強いので、夢に限らず僕の無意識は絶えず贖罪の信号を発信する。電車の中などで、過去のどうでもいいような失敗経験や、恥ずかしい思いなどを唐突に思い出し、一人うろたえる。部屋の中だったら、くそっ、などと一人で舌打ちをしてしまったりする。
こういう経験が多い人間が僕の周囲には多く、知っているだけで5人いる。彼らおよび僕を含めた共通点は、

完璧志向で、
常に自信と不安の間を揺れ動き、
鬱になりやすい

といったところだろうか。鬱を抱えていては日々の営みが難しくなるので、自意識と知性で心の闇に蓋をする。無意識はそれに対抗し、贖罪を果たすためにも痛みの信号をイドから表面へと発信する。理屈で説明するとこんな感じなんじゃないだろうか。

キリスト教徒なんかだったら、こういう時に懺悔をしに教会へ行けばすむのかもしれない。あいにくとノーマルな日本人なので、罪はいつまで経っても相対化されることなく、澱のように溜まっていく。日本人は、鬱病になる確率が高いのではないかというのが、たった今ひらめいた私の推論です。

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