大学入学まで18年間を田んぼの広がる地方都市で過ごした私にとって、季節の移ろいはまさに田園風景で感じるものだった。冬の田起こし、水の引き入れ、耕運、そして新緑の頃には水を張られた田んぼにも青々とした苗が植えられる。盛夏からはイネ花粉のせいで花粉症がひどくなって、収まった頃には黄金色の稲穂を刈り取り。そして田んぼは子供の野球場に。まあ、夏だって泥鰌やザリガニ採りに水田に入って怒られたものだけれども。
都会暮らしも随分長くなって、田地で感じる四季の風月も遠い記憶になってしまった。アスファルトから突き出た木から聞こえるセミの鳴き声を聞くたびに、強く思う。そしていつしかそれが収まる頃に、また同じ感慨に耽る。
最近コンビニに行ったら、一棚が大量のチョコレートに占領されていた。秋の新作ラッシュのはじまりのようだ。
秋来る。めっきり夜風も涼しくなった。
・・・根無し草の浮き身にとって、肌で感じる季節なんてその程度だ。コンビニ季節ものの定番おでんだって、最近は年中置かれてるしね。
-おほかたの 憂き身は時もわかねども 夕暮れつらき 秋風ぞ吹く 後鳥羽院-