スピードボートは双胴翼船だったので、たったの1時間30分でチュンポンに着く。このボートの運営会社はナン・ユアン島のホテルや、バンコク-チュンポン間のバス運行などを多角的に経営しているらしく、サービスは抜群。苦もなく送迎のソンテウ(トラックの荷台が座席になった代物)に乗り換えて、チュンポン市内へ。
わりとハードな道程にも関わらず、あまり疲れたという感がない。南国の風心地と、椰子の木のマイナスイオンと、珊瑚礁から多分海に溶け出ている炭酸カルシュウムのおかげだなと考えながら、あと一歩何かをひねれば詩でも書きそうな心持ちになり、頭を振って、目の前のエスプレッソ・フラッペを啜る。
繰り返しになるけれど、コーヒーを飲むたびにほんとうびっくりする。数年前まではバンコクの都心でも不味いネスカフェの出がらしみたいなコーヒーが普通に出てきたのに、今では抜群、とまでは言わなくてもちゃんとしたイタリアン・コーヒーがそこかしこで飲める。このエスプレッソ・フラッペだって、チュンポンのショッピングセンター横手という、観光客相手とは思えない立地にある「Spagetti House」なる店で飲んでいるところ。はっきり言って、僕の地元である岐阜の片田舎より遥かにマシだ。僕は亜細亜のあちらこちらで飲んだコーヒーや紅茶の味を、というよりは風景を思い出しながら、今ここに到りエスプレッソ・フラッペを手にしたことの偶然や時間の経過を感じながら、ちょっと笑い出してしまう。本当に、あちらこちらでカフェに立ち寄ってきたし、これからも立ち寄り続けるんだろうということに。
僕は生まれてから死ぬまで、何回カフェの椅子に腰掛けることになるんだろう。
小腹を満たすために、一昨日行ったナイト・マーケットに足を運ぶ。春雨と烏賊焼きとビーフンを胃袋に収め、夜食にと、鶉の卵とココナツ・ミルクで出来た生地をタコ焼き状に仕上げた菓子を買う。そして、今日も屋台で働く人たちを観察する。一心不乱に小さなクレープ菓子を焼き続けるひっつめ髪のおばさん。微笑みあいながら果物を売る若夫婦。妻に監視されながら気乗りしなさそうにフライパンを使う亭主。声も張り上げずに売り物を広げたきりのチョンガー風青年。今日の仕度をすべて済ませ、後は売れるのを待つばかりの惣菜屋台のおばさん。そしてあの西洋人と美人で小柄のタイ人夫婦は、相変わらず大繁盛のロティ屋台で忙しそうに立ち働いていた。とまれ、何故だかチュンポンのこの屋台街は、僕に働くことの意味を考えさせる。
又聞きなのだけれども、柄谷行人の言葉だと「事象は全て心象風景に他ならない」のだそうだ。なるほど。僕も何か、働くということ、について、思い悩む節でもあるってことなんでしょうか。アイデンティティのために働くというのはずいぶんご高尚でお贅沢な考えごとだと、確かにいささかの含羞がないでもないのだが、それでも許されるうちは、霞でも腹に入れるふりしていきたいもんだ。と思う。
夜行列車の到着まであと2時間。そろそろ暇を持て余してきたな。
明日はバンコクで買い物、マッサージ、そして美食の予定。タイに来てカオサンに足を向けず宿もとらない、はじめての旅になりそう。時間があったら顔を出してしまう気もするけれど。