庇護と自立

2ちゃんねるベストヒット』より。

362 名前:躯 ◆jk0cn7Uk1o 投稿日:04/05/23 19:43 ID:YasGQFUA

オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

お祖母ちゃん子だった僕はこのエントリーを見て、本当にうるうると涙が滲んだのでした。

まだ僕の祖母は健在で、この正月も帰省の折に顔を合わせたけれど、いつの間にか齢をとり、耳も遠くなれば話もくどくなっていて、ついでにお雑煮の味つけがずいぶん平板になっていた。それでいてずっと僕の身の上やら(主に薄給やら)を心配して、お年玉を渡そうとする(断り切れずに貰って、帰りの新幹線代にした)。矍鑠と背を伸ばしていていた時分はとうの昔に過ぎ、今は腰をかがめて歩くようになった。

祖母だけでなく、祖父もあるいは両親もやっぱり齢をとったのであり、実家に帰るたびにそれを実感する。あらためて数えてみると祖父91歳、祖母84歳、父60歳、母58歳。おおおお。書いてみてブルーになったよ。僕が感覚値として納得できる両親の年齢は、50歳ぐらいのところだ。
いや何もブルーになったのは祖父母両親がそういう年齢になったということではなく、自分を育ててくれた人がそういう年齢になったにもかかわらず、僕がいまだにオトナになりきれていないってことだ。己でオノレを支えきれるようにならぬまま、庇護者たちは年取ってしまうことに、大仰に言えば恐怖すら感じてしまう。
昔は自活すれば一本立ちできるのかとも思ってみたけれど、あきらかにそうでないことは最近とみに実感しているのであり、かといって精神的な自立という境地(ついでに言えばいざというときにアテにしない心構えも)にいつ辿り着けるのやら、杳とも知れぬ。

まあ逆から見れば、彼らが全員矍鑠としているから僕がオトナになる必要性を感じていないのかもしれない。縁起でもない話だけれども、例えばこの2ちゃんねるのカキコのように祖母が死んでしまったりしたら、僕はその瞬間から自立を無意識に宿しはじめるのかもしれない。いずれにせよ、甘やかされて育ってきましたので、甘えられるうちは甘えておこう、と、今日も結論は先延ばし。えへへ。

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