説教の功徳

父親である、知人の教育話に触発されて、我が幼少期に受けた教育を思い出した。

我が家の父親はかなり厳しい方で、ガキの頃は良く殴られたもんだ。しかしながら次子である弟はさほど鉄拳制裁も受けずに育ったようなので、これは長子養育という気負いだったり、子育て初めてだから余裕がなかったりしたせいなのかなと、自分を育てた親の年齢に近づいた今になってみれば、思う。

さて鉄拳制裁が問題なのではなくて、もう少し子供のおつむが出来上がってくると、こんこんと理詰めで説教をするオヤジに変貌するのであった。

「・・・ごめんなさい」
「何がごめんなさいなんだ」
「××したこと・・・えぐっえぐっ(泣き出す)」
「何故お前は今泣いている」
「ごめんなさい・・・えぐっえぐっ」
「謝るなら理由を言ってみろ。悔しくて泣いているのか?俺が怖いから泣いているのか?疲れて泣いているのか?」
「えぐっえぐっ、悪いことをしたことに、えぐっえぐっ、気付いて泣いています、えぐっえぐっ・・・」

教育論としては、息子にちゃんと考えさせるっつう話で決して悪いことではないんだろうが、これを小学校の四年生くらいから高校生になるまでオヤジに叱られることをするたびにやられてどうなったかというと、かなり小賢しいひねくれ息子が出来上がってしまいましたとさ。過ぎたるはなお及ばざるが如し、とはまあよく言ったもんだ。

似たもの親子だから何となく分かるんだけど、たぶんこれやっているとき、うちの父親は説教しながらいつの間にか、自己満足の世界に入ってしまっていたんではないか、と思う。「俺は頭ごなしに怒鳴りつけたりせず、息子に反省することを考えさせる教育をしておるぞ」ってね。そして、何かお説教の本筋とは別のところで、多分に理屈っぽいところや自己満足気質が息子はそっくり似たんである。説教された悪いところは、あんまり直らなかった気もしないではない。残念ながら。
こうやって環境遺伝子は引き継がれていくのだなぁ、と我が事ながら微笑ましく思うのだけれども、僕に息子ができたら、ここまで書いておきながら同じような教育をしそうな気がします。うはははは。

ちなみに、そんなロジカルシンキングなお説教のおかげで、我が家で母親が決めた『決まった公文のプリントの枚数=ファミコンタイム許可』というルールが、そのうちに息子が考案した『漢字の読み取りだけ大量にこなす』という朝三暮四な小技によって悲惨な話になり、こちらの悪癖はそして今に至っております。怒る時は容赦なく怒るほうが、人間素直に育つんではないかなぁと思わないでもない。

・・・こうして書くと我が家の子育ては失敗してるみたいだけれども、今となってはいい思い出なんである。善かれ悪しかれ、これが自分の源だしね。

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