時間ジャンキー

この連休は、いくつかダブルブッキング気味に予定を入れていたら全部なくなったので、じゃあ予定なしで旅にでも出てみっか、と思ったのがはじまり。結果うまいことくるりと富士山を廻るかたちになり、静岡と山梨のそこかしこで途中下車の旅となりました。食い物は旨いし温泉はいいし、言うことなしだ。

で、特に富士市から甲府市へと富士川沿いに北上したせいで、ものすごく郷里の岐阜県を思い出す。長良川の景色にそっくりだった。川風が草いきれを運んできて、アスファルトから立ち上るにおいと混じり、ほんとうに子供の頃の夏休みの空気の味がした。じんわりとした喜びを感じたとともに、やっぱりそこはかとなく切ない。切ないのは、まあ、しかたがないけれど。

もうひとつ、これは心底びっくりしたことがあって、それは時間の進み方。ぼうっとローカル線に乗ったり田舎道を散歩していたりすると、ほんとうにあっという間に、1時間くらい経ってしまう。途中でそのことに気づいて、僕は正直愕然とした。普段はそんなことに意識も及ばないけれど、実は毎日とんでもない時間感覚の中で過ごしているんではないか。電車に揺られて1時間、が、気にも留めずゆるやかに過ぎていくことに対して、新鮮な驚きを感じるくらいの日常。

社会人になってから海外に行くたびに同じことを思っていたのだけれども、今回はたかが200キロ弱離れたところに出かけただけで、僕の体内時計が一気にネジを緩め、そのギャップに戸惑っている。そのこと自体に驚いた。

驚いているうちはいいとして、このまま放っておくと40歳くらいで休日のヒマな時間をもてあますような、立派なお忙しジャンキーと化するかもしれない。それはつまり、たとえその代償に仕事が出来るビジネスマンってやつになれてまあまあの稼ぎがついてくる(可能性くらいはある)のだとしても、まったくもって自分の望まない自分になるってことだ。そんなのになるくらいなら、実家に戻って鶏でも飼って暮らす方がマシだ。

大人になる、っていうのは口でいうきれい事とは異なり、まことに怖いもんだ。これ、ドラッグとかと何が違うってんだ。はっきり言っておんなじだろ。ヒロポン打って零戦に乗っているのと構図はいっしょだ。

ともあれ、思考停止状態で眼前の流れに乗っているだけだと、まったく自分が意図しないところにたどり着くかもしれない、ということに気づいただけでも、旅の功徳はあったというところでしょうか。だから僕は旅が好きなのかもしれない。

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