最近(1997/11/26現在)、ついに都市銀行及び大手証券会社の事実上倒産が現実のものとなった。
実需の数十倍、あるいはそれ以上の資金が文字どおりボーダレスに動く株式市場、及び為替市場をはじめとする金融市場は、もっとも現状をセンシティブに投影している場の一つであるのは間違いない。
以下はそれに対する私の考察であるが、正統的なファンダメンタリズムとは異なる結論です。
最終的な考察から先に述べると、
「今日の株式及び為替市場は、ファンダメンタルズとはあまり関係のない「人々の思惑」で左右される」
とはいえないだろうか。
数年前、やたらファンダメンタルズという言葉が市場関係者の間でもてはやされた。当たり前の話なのだが、各企業の、あるいは各国の基礎的経済力及び諸要素の良し悪しに従って、株価ないしは為替レートは決定される、という理屈である。基本的には過去から現 在まで、市場での株価はファンダメンタルズで決定されるということになっている。しかし ながら、これは現実の株価形成主要因としては、かなり脆弱な根拠である。
なぜそうなのか、そして真の理由はどこにあるのか。それを(特に日本について)考え てみることにする。
「企業のおかれた諸条件・保持する諸要素(=ファンダメンタルズ)が株価に直接的な 影響を及ぼす」という理論が成立するためには、企業がそのファンダメンタルズから得られた利益を株主に還元できるシステムが作動していることが前提となる。
株主が企業から得られる利益とは、
株式配当
株式分割による自己保有分増加
株主優遇措置
くらいのものであるが、これらの利益を主眼とした資金運用としての株式は、他の金融商品と比べ、投資としての魅力を失っているのが現実である。特に日本ではそれが強い。つまり、「相対的に見て」株式保有は「投資」家にとって有利な資金運用策ではない、ということになる。
ではなぜ人は株式を購入するのか。
それはただ一つ、
「株価の上昇による、株式売却益を得るため」
である。具体的にいえば、数%の株式配当ではなく、100円の株価が150円になることに よる資産価値の増大を狙っているのである。現実を知る者にとっては当たり前の話だ。つまり、株式市場は「投資から投機の場」になってしまったのだ。
ファンダメンタルズが株式に直接影響するのは、株式が投資の対象であるときにのみ存在する。ファンダメンタルズの向上による利益還元は、株式配当を始めとする「投資の」 果実であるからである。
さて、「株価の上昇(あるいは下落)」による、「投機」としての株式は、ケインズの「美人投票の理論」でその株価が左右される。「美人投票の理論」とは、
「自分が美人と思う女性ではなく、みんなが美人だと思う女性に投票する」
という理屈である。つまり、人々が「株価が上がりそうだ(=みんな買いそうだ)」 と思う株式の値が上昇するのである。ここにおいて、株価形成の最大の要因は、一般的理論で説明されるファンダメンタルズではなく、「ひとびとの思惑」である。ファンダメンタルズは人々の思考を左右する間接的要因でしかない。
そして「思惑」が最大要因である以上、株価形成は非常にあいまいな、「雰囲気」に依りかかる部分が大きくなる。これが、株価と実体経済との乖離の主要因ではないか。
最近ではエコノミストまでもが「理屈では説明できない」非合理的部分があると公式の場で発言するまでになっている。先頃の世界同時株安も「伝染」という言葉で説明されて いる。
最早株式市場は理論だけで合理的に説明できる場ではないのである。おまけに経済のボーダレス化、および地球規模での社会の均質化が進むに連れて、把握不可能な人数の意志が反映される場所にもなってしまった。対処療法以外に、現実に立ち向かう術はここにはない。
以上である。個人的には、市場は原則的に「レッセ・フェール(自由放任)」でいいと思うのだが。ただ、それに伴う数々の問題が出てきているので、最近はそれをどう政策的に解決できるのかということを、今までとは枠組みの異なるマクロ経済政策として考えねばなるまい。その政策的解決の目的をつきつめれば、
「株式は投機ではなく投資である」
「市場はファンダメンタルズによって振幅すべきである」
ということになるのであろうが、それは一種の管理経済であり、議論は分かれると思われる。