スキー場フガフガ日記

 私とてスキーくらいはする。似非パラレルでへっぴり腰ながら、ゲレンデを颯爽と滑る。しばらくゲレンデから遠ざかっていたことを思い出し、ふらっとスキーに出掛けた。「ふらっと」などという言葉を使うあたり、淡々として内田百間風だが、そのくせ前日興奮して眠れなかったりしたのだが、とにかく夜行バスで信州に向かう。目指すは北志賀竜王スキー場。

 今回の旅は連れも同行する。ピンキーである。数日前からおやつの用意まで心配するような用意周到な子だが、夜中に一人でトイレに行けないような子でもあるのが不安の種である。はしゃいだ揚げ句にアイスバーンで転ぶとか、寒さに理不尽な怒りを催すとか、ゲレンデで迷子になるとか、疲れて機嫌が悪くなるとか、後々全て当たることになる杞憂が胸の内に去来する。

 夜が明けてみれば、車窓は白銀に覆われている。絵に描いたような情景にしばし感動する。ゲレンデは今日が初滑りだったせいも手伝い、リフトは殺人的な混雑を見せる。しかも2年のブランクの間に、世間では信じられないくらいボーダー占有率が増えてしまったようだ。6:4でボーダーだろうか。ゴキブリと同じで、「1匹見つかれば、見えないところに10匹はいる」という俚諺が当てはまる。
 おかげでアイスバーンはできる、ゲレンデの真ん中で座り込むやつが邪魔でしょうがないなど、滑りにくいこと甚だしい。殺虫剤を散布したくなるが、しぶとさはゴキブリ以上だろう。

 しかも、今年のゲレンデ音楽は「シャズナ」「T.M.Revolution」がメイン。ただでさえうるさい騒音の垂れ流しであるのに。果たしてみんな喜んで聞いているのだろうか。「やっぱヤングにはこれだべや」とかなんとかいって、「竜王スキー組合」の寄り合いかなんかで決められているだけなのではないだろうか。しかし、リフト待ちの前方にいた女子大生グループは、あまつさえハミングなどまでやらかしている。騒音を満喫するのも都会人の条件なのだろう。
 ・・・などと毒づきつつも、愉しさは満点である。はは。スポーツの高揚感は、やはり非日常性と、自らの肉体の限界を飛び越すことによる人間性の超越だと思う。

 夕食を食べた後、ばたんと寝てしまったはずなのだが、目が覚めたら十時半。仕方がないのでそばのコンビニまで、つるつる滑りながらワインを買いに行く。がぶ飲みして寝ようというさもしい魂胆なので、甘口の白ワインを1本。
 ワインを買いに行く途中、ゲレンデではこんな夜遅くだというのに人工積雪のために散水をしている。苦労に頭が下がる。シャズナがかかろうとリフトが混もうとも、もう文句は言うまいと思い、宿に帰る。いや、ほんと。

 次の日はややリフトにも乗りやすくなり、シュプールも心なしか輝いちゃったりする。しかし寒い。瀬戸内気候&都会の気温に慣れた身にはなおさらである。我が連れピンキーに至っては寒風が脳みその隙間に吹き込んだらしく、「おしっこ大丈夫?」と訊ねてやると、
 「フガー!」
と叫んでガニ股でトイレに消えていった。自然を目の当たりにしおまけにそいつと心ゆくまで戯れたせいで、野生の血が目覚めてしまったらしい。血が濃いのか、その後は食事が旨かろうと不味かろうと、リフトが止まった時もおしっこしたい時も
 「フンガー、フガフガー!」
の2語文で用を足すようになってしまった。解読するこちらも一苦労である。
 この日のホテルの夕食は、メインがハンバーグだった。ふと隣のテーブルを見ると、同じようなカップルが席に着いている。男の方はなかなかのルックスではある。が、ホテルの夕食がナイフとフォーク使用であったのは彼にとって大誤算というべきだろう。付け合わせのオニオンスライスを必死に口まで運ぼうとしているのは分かるのだが、フォークとナイフでは上手く取ることができないようだ。仕方がなく彼は、あろうことか手でオニオンスライスをつかみ、フォークにぶすりと刺すという文明人ギリギリの尊厳を賭けた勝負を挑んでいるではないか!
 それがぽろりと落ちぬうちに、という意志の表れだろうか、極限まで皿に顔を近づけて口に入れている。二重の失敗を犯すまいという見上げた努力の結果なのだろうが、ここまでくるとどう見たところでチンパンジーである。人間の限界すら、彼は軽く飛翔しきっていた。
 しかし人間性の喪失までもを犠牲にして、なぜ彼はタマネギ如きを賞味しようとしたのだろうか?タマネギには人知れぬ呪縛でも秘められているのだろうか。とにかく、おそるべきはオニオンスライスである。
 付記しておけば、彼の横にいた恋人らしき女性は、彼の極限の姿を目の当たりにしながらも、顔色一つ変えずに黙々と食事をしていた。これはこれで、ある種の偉大な愛情である。尊敬。
 というわけで、北志賀の自然は人までもを野生に舞い戻らせ、聳える山はスキーに興じる我々を見下ろすかのようだった。妙なところで自然の大きさを実感し、ついでにスキーも満喫し、帰途についた。帰ったのは良いが、未だに野生から完全に帰還できないピンキーは、思い出したようにフガフガ叫ぶ毎日がまだ続く。
 大いなる北志賀の自然よ、この始末をどうつけてくれる。

(1997/12/12~16)

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