1997/12/20-21 男四匹・30時間四国半周その2

 どんづまりへの道であるからして、さぞかし路面も整備が悪かろうと思っていたのだが、意に反してきれいな舗装の道路である。時おりの山道をのぞけば、まずは快調なドライブ、といっていいだろう。
 徳島の都市圏を抜けると、道は山中に入り、漆黒の闇が続くばかりである。街路灯以外、何の灯りも見えない。日頃ネオンに囲まれて暮らしているだけに、辺りを覆う闇の重さが、一段と深く感じられる。
 ・・・というわけで、ドライバー以外はみんな眠い。たまに誰かがうつらうつらして、ふと目を覚ませば他の誰かが沈黙に入る。

 県境を越え、高知県に入った。道は海沿いに走り、さすがにここまで来ると車のライトもまばらである。牛乳運送など、すれ違うトラックも朝の風情がある。とはいえ、まだ夜のとばりは重く降りているままだ。
 ある海岸で、車を停めた。道路から浜に降りてみる。瀬戸内海といっても、もうだいぶ外海に近く、心なしか波の音も高い。
 洋平は、以前この浜に来たことがあるのだそうだ。サーフィンをするのに、最高の波が押し寄せる海岸、彼はそんなことを言う。入江をさえぎるように伸びる岸壁を、その先端まで歩く。波音は、足の先まで響く。

 4時頃に室戸岬に着いた。意外にはやかった。岬の突端からは、足下から断崖がのぞく。隆起運動によって生成された土地なので、断崖が高いのだ、というのはのむさんの弁。こういう人が行程を共にしてくれると、旅先での見聞も深まるというものだ。
 とりあえず、朝日が昇るまで仮眠することにする。太平洋から浮かび来る大洋は、また格別なものだろう。
 ところが、6時くらいに目を覚ましてみると、雲がたれ込めおまけに小雨までぱらついている。運が悪い。それでも、展望台まで階段をのぼってみる。
 海だけが、目に入る。
 その先に、何もない海。
 徐々に、陽の光が海原を染めあげていく。雲のせいでぼんやりとした明るさだけれども、それがかえって、幻想のような風景だ。

 朝の空気が漂いはじめたので、我々もさらに進むことにする。次の目的地は高知だ。土佐湾沿いに、その向こうに続く太平洋を眺めながら。
 室戸岬に向かう徳島側の道路より、こちらの高知側のほうが狭いし、舗装も貧弱である。高知に向かうにつれて交通量も増え、少し渋滞気味だ。このあたりには「阿佐線」という、建設途中で断念された鉄道の跡がある。高架橋やトンネルが、混雑する道路を横目に見え隠れする。
 途中で仮眠をとり、昼には高知に着いた。何だか、ここも徳島と同じく大都会のように見える。四国は交通の便が悪く、そのぶん各県の独立性が強いので、県庁所在地は人口のわりに設備が整っているのだろう。

 高知、といえばカツオである。今は冬のまっただ中、時期ではないがその調理法はやはり本場のものが味わえるだろう。
 繁華街をふらふらと歩きまわり、大丸百貨店の隣にある地下の土佐料理屋に入る。なかなか落ち着いた店構えで、間仕切りの座敷になっているのがなおよい。四人バラバラのものを注文するが、みんなカツオのたたきだけははずさない。
 アサツキを散らしたカツオは、確かにうまい。決め手は土佐酢だろう。普通に食べるカツオを凌駕しているのはこの点だった。その他の焚き物なども、上品な味付けである。
 が、少し雰囲気が堅い。寝不足に加え、いきなり繁華街で小座敷なんぞに通されたせいだろう。
 と、刺身を頬ばっていたかずぅが、
 「グッドですわ!」
 と、親指まで立ててその味を表現してくれる。「・・・だから?」と、3人の反応は一様に冷淡ではあったが、その後雰囲気がくつろいだのは確かである。くつろぎすぎて、残りの道中が「ダジャレ特急」になってしまったのだが、それはさておいて、ここは「ダジャレキング」の面目躍如、というところだろう。

 高知城を車窓から眺めるだけ眺めて、桂浜へ向かう。四国有数の風光明媚なところである。

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 しばらく、海岸沿いを散策する。波は高く打ち上げては低く押し寄せ、途切れるところがない。あいにくの天候で、独り旅なら自殺を考えるくらい陰鬱な景色であったが、我々は幸いにして4人、しかも「ダジャレキング」を含むメンバーである。それでも、果てしなく続く大海を断崖の上から眺めていると、不意に虚無感が襲ってくる。

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 桂浜そばの公園には、太平洋を見下ろすようにして坂本龍馬の銅像が建っている。我々も、浜辺から海を眺め続けた。気分はジョン万次郎である。

 再び高知市内に戻る。市街を抜けて、高松へと向かうのだ。高知市内は縦横に路面電車が走っており、町中でもその姿をよく見かける。

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 高知へは、高知市の手前まで高速道路が延びているので、そこまでの道は車線も広く、走りやすい。車は快調に走っていく。
 この先どう行けばいいのか、洋平が訊ねるので、私は道路地図を見ながらアドバイスをする。それから、洋平に語りかけてみた。
 「・・・洋平は、ドラえもんだね」
 「・・・は?」
 「だって僕は、ナビ太くん!」
 すかさずかずぅが、「ナイスですわ!」と合いの手を入れてくれる。いかん、私までおかしい。恐るべしダジャレの伝染力。洋平とのむさんは、こいつら面倒見きれんといった風情で、いささか憮然としている。

 高速道路を通らず、地道を選択した。山越えのワインディング・ロードである。高知と高松を結ぶ幹線道路だというのに、とてもそんな雰囲気はない。高速道路の開通が地方の悲願だという話も、この道を見ていればなるほどと納得させられる。曲がり道で、洋平がカーブのドライビングの実践をしてみせる。かずぅとのむさんはその話に聞き入っているが、免許を持っていない私には何のことだか、さっぱり分からない。

 途中、道は徳島県を横切っていく。徳島といえば海のイメージが先行するが、四国の中心部は香川・高知・そして徳島の三県が密着しているのだ。その徳島県山間に、大歩危(おおぼけ)温泉がある。渓谷美で有名な大歩危小歩危である。すでに日も暮れ、渓谷の様子は分からないが、旅疲れを癒すためにも、温泉ときいては素通りするわけにはいかない。
 幸いその旅館は公共施設で、数百円で入浴することができた。さっぱりとしたいい湯である。脱衣所にある効能書きを読めば、どこの温泉でもそうなのだがまるで万病に効くような触れ込みである。確かにさっぱりとして体も軽くなり、車を再スタートさせる。最後の目的は、高松で食べる讃岐うどんである。

 山道を抜け、田園が広がる讃岐平野に至る。それでも高松市街に近づくまで、道はこれが国道かと思えるくらいの狭さである。そんな細道を、トラックがびゅんと走り去っていく。

 のむさんが以前高松を訪れたときに行った「黒田屋」で、本場のうどんを食べる。麺のコシが違う。もちもちとして、こたえられないうまさである。空きっ腹も程良い満足感に変わる。何だか、満ち足りてしまった。
 満ち足りたそのままの顔で、フェリーに乗り込む。長く響く汽笛を鳴らしながら、船は神戸に向けて出航する。

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 このあと、船内で酒盛り。みんなは125ミリリットルのプチ缶ビール。私は「お燗機能付きカップ酒」。最後まで、不思議としまらない4人である。

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