結局、まんじりともしない一夜になった。あまりの暑さに、横になるどころではなかったのだ。チェンマイには4、50分遅れで到着。夕べの寝苦しさが嘘のように、まだ夜も明けきらぬ 高原都市の朝は涼やかだった。慌ててTシャツの上にパーカーを羽織る。
ここでもとりあえず駅のクロークに荷物を預け、朝食を取りがてら市場に行くことにする。通 りがかったサムローをつかまえ、市街中心部の市場へ。20バーツ。
市場は朝の賑わいを見せていた。何よりも目についたのは生きたままのナマズだった。日本でも蒲焼きにして食べたりするが、それよりもひとまわり小さい。
内陸部ゆえ、ナマズはわかるのだがなぜか冷凍物のイカや、青っぽいムール貝のようなものまである。はるばる沿海部から輸送されてくるのであろう。雑然とした、まだ前時代の香りを色濃く残す市場と、冷凍物のイカの存在とのギャップに、思わず苦笑する。そばの食堂でビーフンを食べるが、いろいろな具が入っていて、大きな器に盛ってあるわりには安かった。15バーツ。・・・市場価格なのだろうか。
さて、小腹もふくれ、ほどよい時間になったので見どころが多いチェンマイ近郊の観光に出かけることにする。大路を行く一台のトゥクトゥク(註:オート三輪に客席をつけた簡易タクシー)をつかまえ、「I’d like to go to Elephant camp!」と呼びかける。「Ya!」と大きくうなずいたのだが、えらく料金が安い。・・・杞憂はあたり、運転手はそこが郊外に位 置するということを知らなかったのだ。運転手が道を尋ねるために立ち寄った旅行代理店でお互いのすれ違いを確認し、私はそこで降りる羽目になった。旅行代理店の人が、「うちでツアーに参加したらどうか?」と話しかけてくる。渡りに舟なので、オーケーする。エレファント・キャンプ、スネーク・ファーム、オーキッド・ファーム、土産物屋を回るツアーで300バーツ。当然値切った価格。いささか高いかな、とは思ったが、観光地であることだし、こんなものだろう。
指定された時間に一台の車が来る。日本車で、サニーかコロナだった。「彼が運転手で、君を案内してくれる」と、代理店の男が私に告げる。まさか車をチャーターすることになるとは思いも寄らなかった。これで300バーツなら、安すぎるくらいのものだ。
相手の英語力もこちらのそれもタカがしれたものなので、少しミスマッチの英語で会話をする。車は郊外に出るとびゅんびゅんとスピードを上げはじめ、まずはエレファント・キャンプに向かう。高い山が車窓から見える。あの山の向こうは、ミャンマーである。
エレファント・キャンプは完全に観光客用の象の動物園であり、数十頭の芸を仕込まれた象が、その芸を披露している。中に入ると、サトウキビとバナナの束を売っている。象の餌らしい。私もバナナを買い、柵のすぐ向こうで所在なさげにしている象に差し出してみる。ゆっくりと象は近寄ってきて、器用に鼻でバナナをつかみ、むしゃむしゃとあっさり食べてしまう。児戯に類することなのだけれど、私も含めた観光客は、みな面白がって、次々に象にバナナだのサトウキビだのを買い与える。
象のショーが始まるというので、私も中央の広場に行ってみる。器用に丸太を積んだり、後ろ足だけで立ち上がったり、お座りまでしてみせるお茶目で利口な象のパフォーマンスを見学。なかなか面白い。かつては、象はタイの重要な労働力であったのだそうだ。芸を仕込むのも、伝統で培われたものらしく、山岳民族のオハコらしい。その横では、象の背中にくくりつけた客席に乗り、園内を散歩するというアトラクションがあり、これにも大変心惹かれたのだが、ええ年こいた男独りで、そんなものに乗ってはしゃぐのも見苦しいので、自重して表で待っている車に帰る。
次に訪れたのはスネーク・ファーム。要するに、観光客相手の蛇センターである。色とりどりの蛇やワニが園内の檻に飼育されており、なかなか見応えがある。動物園や水族館のたぐいがこの上もなく好きな性格なので、なおさらである。ここでの見物もやはりスネーク・ショーで、牙を抜いてあるコブラと男の決闘という非常にわかりやすい筋書きである。なかなかよくできた芝居で、全て英語で進行するのでだいたいのところは分かる。「ニシキヘビを首に巻いてみよう」コーナーもあったのだが、さすがに手が出ない。・・・見ていると、トライするのは全て女性であった。
そしてオーキッド・ファームに向かう。蘭の植物園と蝶園である。蝶はともかく植物には造詣がないので、きれいなものだなとふらふら見て歩くだけである。
一通りの観光が終わったところで、車は土産物屋へ走る。実のところ、土産物屋などどうでもよいのだが、ここチェンマイは手作り傘の名産地なのだそうで、何軒もその実演販売をしているところがあるという。実演販売の「実演」のほうだけ見てまわろうという算段である。
まあ、万国共通観光地の悲しさで、実演といっても客が来たときに、おざなりに機械を動かしてみせるだけである。それでも、作成途中の傘を見てまわり、納得する。ついでに土産物屋のほうにも足を運ぶ。木でできた品の良い灰皿があったので、買うことにする。ついでに名産の傘を電球の傘に作り替えたしろものに、なぜか手が伸びたのでそれも買うことにする。
「500Baht」
店員が言う。冗談じゃない。そんな金を払う気などさらさらないので、「250」と、まず半額に値切ってみる。店員首を振る。「300」店員は電卓をたたき直し、450バーツではどうかと言う。交渉するのも阿呆らしくなったので、さっさと外に出る。すると店員が追いかけてきて、「O.K.,O.K., 300Baht.」と腕をつかむ。これも万国共通 のお決まりである。言い値にしてくれたのなら断る理由もないので、素直に買って車に戻る。
「Do you wanna a girl?」と、車を走らせながら運転手が訊く。当然断ると、「なぜだい?独り旅じゃ寂しいだろう?」とさらに訊ね返す。日本に恋人がいるのだ、というと納得してくれ、「じゃあ、今度は彼女も連れてチェンマイに来なよ、その時はまた俺をチャーターしてくれ」と言う。屈託のない話し方である。
駅まで送ってもらい、荷物をクロークで受け取って、ガイドブックで目星をつけておいた宿までサムローに乗る。街中央のターペー門そばのV.I.P Guest Houseである。部屋を見せてもらうが、安宿とは思えないほどの広さ、きれいさに加えホットシャワーまで使える。料金を訊くと180バーツだというので、値切る気もせず宿泊する。荷物を置いて、街の西に位 置するワット・プラシンまで散歩。本道では少年僧の読経が行われていた。タイでは僧侶の地位 が高いので、彼らはエリート層ということになるのだろう。
うたた寝をしてから、宿のそばのマッサージハウスに行く。別に怪しい店でも何でもなく、タイのトラディショナル・マッサージを施してくれるのである。受付で1時間マッサージを頼みたい旨を告げると、小学生くらいの小さな女の子が2階に案内してくれる。タイ風の浴衣に着替え、布団に横になって彼女に身を委せる。体中を伸ばしたり折り曲げたり踏んづけたり、たいそう気持ちがいい。旅の疲れもすっ飛ぶというものだ。たった100バーツ。女の子に、20バーツのチップを渡す。
すっかり体も軽くなったので、歩いてナイトバザールに行く。バナナをクレープ皮のようなもので包んだ焼き菓子を食べる。タイのお菓子で、ロテというのだそうだ。砂糖をたっぷりかけた上にコンデンスミルクまでつける。「甘いものは高級」というのが、発展途上国の基本認識だと思う。それから、エビ、鶏の入った野菜炒めとかたやきそば。
そばにあったオープン・エアーのバーで、ジャックダニエルとバカルディーのロックを飲む。150バーツ。他のものの物価に比べて格段に高いのは、関税のかかった輸入品だからだろう。それもカクテル用の計量 グラスで、きっちりと計ってグラスに注いでいた。