さて、「正史」にならいこの項は「森島勘右衛門」について記述することにする。やはりこの人物を抜くわけにはいかない。「かんねもんさ」は、森島家中興の祖、なのである。
勘右衛門の業績として残っているのは、灌漑事業と俳句をたしなんだことである。灌漑事業は後にその息子佐太郎が大々的に行ったため、勘右衛門のそれはかすんで見えるのだが、我が家に残る掛け軸にもその詳細は記述されている。おそらくこれは奉仕活動でも何でもなく、「自前の土地の生産性を上げよう」というエゴイズムに過ぎなかったろう。まあ、おかげで村全体の収穫も増えたはずなので、よしとしておこう。
勘右衛門が俳句を好み、俳号を作って句会まで開いていたのは「輪之内町史」に明らかである。「正史」にも引用したが、
眼をあかす いろは始めの 習ひごと 楚風
(輪之内町史 P.201)
という俳句を詠んでいる。楚風というのが勘右衛門の俳号である。
・・・我がご先祖ながら、下手な句である。田舎文化人を気取っていたのであろう。
田舎文化人にふさわしく、勘右衛門は多くの美術品を蒐集したりしていた。その一部が、今も我が家に残されているが残念ながらそのほとんどは贋作、二級品である。見る目がないというか、悲しき田舎っぺというか、お大尽の道楽なんてこんなものだというか。この審美眼の無さはどうも血のようで、他の当主にも見受けられる。