斯く有りたい

帰省した友人と会うことになった。まっとうに働いてる奴ってのは偉い。日々大人になっていく。そんな彼と数年ぶりに見た六甲アイランドの海辺は、瀟洒な遊歩道が整備され、震災の跡形もなくなっていた。大学一回生の時、よくこの海に来たものだけれども、改めて時の流れを感じる日となった。自分が変わることで時系列を認識するのか、環境の変化でそれを思うのか。願わくば、変わらぬ風景の中で変わった己を実感できる人間でありたいと思う。

珍しく戦記物の小説なんかを読む。「レイテ沖海戦」半藤一利著。負けが込むときには、立て続けに転がり落ちていくものだなあということを実感した。心理学的にいえば、アプリオリな負のラベリングに導かれる、とでも表現すればよいのだろうか。
ツキが無くなることは誰にでも起こりうるのだろうけれども、そういう状態を食い止められることが出来るかどうかの方が、ツキの有る無しより、よほど重要なことなのかもしれない。
負けたときにこそ、真価が問われる。そんな人間くさい至言を思ってみる今日この頃。僕も斯く有りたい。

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