お寿司の哲学

鮨が一人前あったとする。

さあ、何から食べ始めるか。

・・・という問題に対し、「最後の方に美味しいものを食べる」という人が多いのではないだろうか。少なくとも僕はそうしてます。
で、よくある処世訓や蘊蓄コラムでは、

「僕は一番好きなものから食べ始める。だって、一番好きなものを食べた次に食べるのは『残った中で一番好きなもの』になるから。こうすれば、最後まで『一番好きなもの』を食べ続けられる。幸せな哲学だと思う」

などと書いてある。嘘臭い。この逆説コラムは、相対比較を持ち出して論旨をすり替えているのだ。この人、本当に胸張って最後の一貫を「旨い!」と言えるんだろうか。言えるんなら別にいいけど。

僕自身は、美味しいものを最後まで取っておく食べ方は「希望のメタファー」だと思う。それに比べ、『しあわせ哲学』の食べ方はどことなく我慢と耐乏のにおいがする。
我慢が美徳だなんて言う人間はそもそも基本的に信じていないのだけれども、ましてや大好きな鮨屋に行ってまで、ビンボ臭い処世訓を垂れる人間にはなりたくないものだ。

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