春のメルクマール

この春からJRの定期券がちょいと進化して、継続購入は自動販売機で可能になった。こりゃ便利だ並ぶ必要も窓口の営業時間も気にすることはないというので、早速自分の定期券を販売機に差し込んでみた。・・・無情にも「この定期券は窓口にお持ちください」とのこと。残念ながら新型の定期券しか、このシステムは利用できないらしい。仕方がないので割り込み当たり前のおばさんと睨み合いながら、従前通りに窓口で更新。
新しい定期券は、券面のカラーリングが変更されていて、くだんの券売機と似通ったベージュ色。今度からは自動継続できるのねと、6ヶ月後のささやかな初見興奮を思いながら今一度眺めてみると、所持人署名がコンピュータの印字に変わっていた。

中学生の頃から定期券を利用しているが、字が汚い私にとって日々眺める券面記載の自署はちょっとした苦痛になる。
なぜだか知らないが、定期券に複写された署名は普段にもまして悪筆が際だつ。定期券が象徴するのは退屈な日常だろうけれども、そのシンボルに小汚い手前の氏名が書いてあると、自らの居る日常に言い逃れのできぬ、という陰鬱な気分になる。多少なりとも。

自分なのに自分ではない。
定期券の署名は、日常と僕の間に生じる苛立ちのメタファーなのだ。『日常を認証せよ』という強要の受容。

そんな定期券ともおさらばだ。

ということで、デジタル印字をしばらくはうれしく眺めていたのだけれども、結局僕は定期券に「署名」する権利すら失っただけなんじゃないのかという気もする。
ソフィスティケイトされた肉体性の疎外だとも言える。

大仰だけれども。

神は細部に宿るのだ。

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