山田詠美みたいな、気分とノリだけのタイトルをつけてみる。
ほんとうに僕はボタン付けができなくて、独り暮らしだとまことに困るんである。勉強ができない高校生と同じくらいの困り度。勉強ができなくてもくそくらえですむけれど、ボタン付けられないと着る服がなくなる。同じくらいじゃないではないか。これ、僕の洋服ダンスにカットソーとジップアップの服が多い理由のひとつ。
以前は帰省したときに母親につけてもらったり付き合っていた子につけてもらったりしていたけれど、あいにくと最近そういうカードがないので、ボタンが取れそうになると「パス!パス!」とばかりにその服を着なくなる。あるいはボタンを留めなくてもすむ着こなしにしたりする。やれやれ。
母親に直してもらったものはともかく、昔の恋人が縫いつけたボタンを留めるたびに、まあいくばくかの感慨にふける。ボタンをかけることで少し袖先がずれてしまうシャツとか、妙にボタンと生地の間が空いているパンツとか。そんな些細な食い違いを感じるにつけ、僕は、そこにある記憶とか時間について思いをはせる。ずれたボタンはそのままでい続けるし、ずれたボタンであっても僕はそのシャツを着て袖を留める。
なんだったら私が引き受けましょうか・・・。
ユニフォームなんかの繕いを自分でやったりするので
体育会系は意外と裁縫できますぜ。
うぁぁい。
でも、頑張って縫ってくれる人を見つけます。
人生のほつれも縫って欲しいもんですねぇ(違