靖国の季節がやってきた。右翼も左翼も反中嫌韓も護憲平和もみんなで大騒ぎ。
で、実のところ僕は靖国神社に行ったことがない。この日曜日に初参拝。
思想背景はさておき、坂の下から鳥居を見上げ、その向こうに広がる空を目にしたとき、僕はそのたたずまいを美しい、と素直に感じた。これだけ日本人の情緒にうったえる光景をつくれる立地は、なかなか余をもって代え難い。それだけで、靖国はいいんじゃないか、と思った。就遊館の展示など、言いたいことはいろいろあるにもかかわらず。
以前靖国神社についてこんなことを書いた。
テレビをつけたら「小泉総理靖国参拝」のニュースで持ちきり。何がイヤかと言って、周囲で日の丸の小旗を振る人間がイヤだ。個人的には中韓の内政干渉まがいの恫喝で参拝可否が決定されることに強い腹立ちを覚えるのだけれど、ああいう人たちを見ていると、もっと慎重に行動する方が良いのかもしれないと思う。付和雷同した日本人は、どんなムードに流されるか分からないし。
靖国といえばいつだってA級戦犯の分祀が問題になるけれど、本質ではないだろう。東京裁判の判決を国家として認めるのは、その内容からしてどうかと思うし、戦争への反省という意味からは、自らによって戦争責任者を明確にすることが第一歩ではないだろうか。
そういうことで、靖国参拝は公式で構わないが、佐官以上の将官は全員責任者として靖国から分祀する。死者に責任はないと言うけれど、失敗したプロジェクトの責めを負うというのがエリートってもんだろう。彼らが本当に国のためを思っていたのならば、甘んじて罪をかぶるだろう(たぶん)。
中国その他の地域でメチャクチャやったという意味では二等兵だって犯罪者だけれども、言い出すときりがないのでまとめて彼らにひっかぶってもらおう。
僕的にはこんな見解。
5年前に書いたことだけど、今の僕の見解とあんまり変わりない。あらためて書くとこんなところかな。
・国家として、戦没者を追悼することは必要。
・「神社にお参りする」のは、大多数の日本人にとって宗教的行為ではなく文化的コードにもとづくものなので、参拝は靖国神社でよい。
・ただし一般国民、アジア諸国民をはじめとする犠牲者への哀悼を捧げる場所は別にあってもよいのではないか。
・東京裁判での戦犯を分祀するのではなく、国家として当時の戦争責任を明確にすべき。
・その責任者を分祀できなければ総理大臣以下の大臣、議員は不参拝を検討すべき。代わりは千鳥ヶ淵でいいじゃないか。
・中国、韓国をはじめとするアジア諸国には上記をきちんと説明する責任がある。
・日本の総理大臣が、南京やソウルを訪れて、彼の地の犠牲者を追悼するようなセレモニーもあわせて定例化してもいいのではないか。ドイツの大統領がアウシュビッツで懺悔するようなもんだ。
要するに、靖国参拝と侵略戦争を両方とも認めることってそんなに難しいのかねぇ、というのが僕の素朴な疑問。両者を二律背反にして、盲目的なナショナリズムか杓子定規な自虐史観を選ばせる連中こそ、右翼左翼を問わず国賊に値する。イデオロギーがそんなに大事か。イデオロギーで思想を縛ることがどれだけ熱狂的な悲惨を産み出したか、60年前を振り返ってみればよい。
そういうことを、60年後の怠惰な平和ニッポンに生きる若者は考えています、心配かもしれないですが安らかに眠ってください、と、僕は靖国で英霊に報告しにいく。それが、僕にとっての靖国参拝だ。