最近読んだ本にアタリが多くて嬉しい。
山本弘の「神は沈黙せず」に塩野七生「ローマ人の物語:ローマ世界の終焉」の2作。
前者は本格SFで、仮想通貨と電脳が発達した近未来、不思議な事象が頻発しはじめる、のが小説世界。その中で生命シミュレーションゲームを開発していた主人公の兄が、進化の不自然さと現在起こっている世界の「誤謬」の関連に思い至り、自分たちの生きる世界は……、という話。
ネタバレで言ってしまえば世界はバーチャルだった、ということだけれど、哲学や認識論に惹かれた人間にとってはぞくぞくするくらい興奮する。その舞台設定のディティールはあくまでも小説本筋のバックグラウンドにすぎないけれど、この本が数年前に書かれたことを考えれば、ある種の預言的な精緻さを感じる。
「ポケタミ」と呼ばれる小型情報端末に通信機能、データストレージ、そして企業連合体が発行する仮想通貨が格納され、不況と経済失政に苦しむリアル世界と、そこから一歩離れた安定仮想世界のスキームが存在するという二重性。その中でこそ、実は世界はバーチャルな存在だった、というメインテーマが浮かびあがることができる。
後者はローマ世界通史を描いた塩野七生の有名作の結巻。まだ読みかけだけれど、ローマ世界がなぜ崩壊したかが描かれた内容、そして著者が忖度するローマ人の心情は、現代日本のそれに通じる。メタファーでありながら、比喩を超えたリアリティーが見えるのは僕だけだろうか。
この2冊、前者はSF後者は歴史小説と毛色は違うけれど、次代を考える示唆に富む小説だというのが僕の実感。少なくとも今後の20年間、世界のキーワードは「仮想」と「崩壊」になるんだろうな、と、あらためて実感した。その中で新しい価値観と権力とスキームが、たぶん産まれる。
そんなの、ベルリンの壁崩壊と湾岸戦争から言われていた。ネット普及と9.11以降は誰もが口にしていた。でも、それを実感として感じている人はどれくらいいるんだろう。今年は2007年だけれども、20年前の1987年、まだ東側共産圏はしばらく続きそうで、日本はバブル景気に酔っていて、コンピュータはやっとMacintosh IIがでたところ。20年後の将来がこんなになるって、誰も信じていなかった(冷戦が終われば『最後の平和』がくるくらいに楽観していた)。
そして、それからの20年は「戦後」「冷戦」「秩序」「高度成長」「自由」などに代表された時代がゆっくりときしんでいく時間だった。
その20年を、自分自身が過ごした時間に重ねてみる。僕たちは「狭間の世代」と呼ばれるけれど、それは、個人としての成長期を、このゆるやかな崩壊の時代に過ごしたことからくる心地悪さ、だったんだろうな、と思う。エアポケット=狭間で成長した世代なのだ。
だけれど、たぶんこれからの20年(そのときにはもう50歳の超おじさんだ)は、「はじまりのはじまり」の時代に生きられる。考えてみれば、そういうパラダイム・シフトの歴史に生きられるっていうのは素敵だ。エキサイティングだ。
そう思えば、この不確定で不安な時代も悪くないな、って気になる。明治維新とかフランス革命のど真ん中で生きているのとおんなじだ。楽しんでみようじゃないか。
…僕に何とか見えているそのキーワードが「仮想」「崩壊」ってところが、ちょっとひっかかるんだけれども、ね。