2011年12月29日
熱帯バンコクの街も、そこはかとなく年末年始ムードのなか、今日はひたすらの移動日。
カオサンからスワンナプーム空港へは、タクシーでパヤタイ駅へ出て、そこから最高時速160kmのエアポートエクスプレスに乗車。たぶんこれがコストパフォーマンス、一番いいんじゃないかと思う。
前回タイに行ったときに、ビジネスクラス客に配っている、入国審査の優先レーンを通れるプレミアムパスを購入した余りがある。今回も使おうと思い係員に差し出すと、あらかじめ押してある検印を指さし「Expired」との無常のひとこと。検印だけ変えて、市中に出回っているものを一気に無効にするのはズルいよな、と思ったけれど、抜け穴が多いタイだけに、取り締まりも乱暴ってことか。
さて、飛行機もゲートにやってきて、いよいよタイ出国。
次の目的地、マレーシアに向けて出発。搭乗するのはLCCのエアアジア。ジョホールバルに着くのは、クアラルンプールでの乗り継ぎを経て、22時前になる予定。
ゲートに集まった乗客を見ていると、インド人観光客の姿がけっこうな比率を占める。バンコク在住の印僑かと思いきや、スーツケースにはコルカタのシールが貼ってあるので、どうやらクアラルンプール経由でバンコクまでのツアー客のようだ。
新しい客層が増えているのを見ると、あらためてLCCが発展途上国の中流階級にジャストフィットしているんだな、と実感する。
飛行機は2時間ほどで、マレーシアのクアラルンプールに到着。クアラルンプールの空港ターミナルは、従来のレガシーエアラインと、ほとんどがエアアジアの発着で占められるLCC Terminalに分かれている。初めて降り立ったLCCターミナルは、まるでどこかの倉庫かコストコみたいな低コスト仕様で、少し薄暗い雰囲気。
空港ではSIMカードの入手と国内線のバゲージドロップ、それに両替を済ませ、国際線ターミナルから国内線ターミナルへ移動する。驚いたのは両替レートで、国内線ターミナルのほうがぜんぜん良かった。マレーシアレベルの中堅国でも、まだこういう仕様が残っているのだ。
ほんらいなら乗り継ぎ時間は1時間ほどなのだけれども、機材のやりくりが厳しいLCCなので、フライトディレイで大幅に待たされる。
アナウンスされる予定時刻が少しずつ遅くなり、結局2時間近くの遅延ということになり、お詫びのミールクーポンをもらう。LCCでもクーポンが出ることに感心したけれど、もらえたのはマクドナルドのそれ。
しかたなくハンバーガーを食べ、殺風景なターミナルでぽつねんと待機。
結果、治安のよろしくないという噂のジョホールバルには、日付を回る手前の11時半に到着。市内に出るのは1時過ぎくらいだろう。
もともとそんな時間ではバスもないんだろうし、と思ってはいたけれど、ジョホールバルの空港、バスはおろかメータータクシーもいない。
これはタクシーカウンターで高いのを頼むしかないな、と思った矢先、駐車場の方からタクシーの呼び込みの声が聞こえた。迷わず行ってみる。が、ドライバーは空港ビルを指さして、チケットを買え、と言う。モグリのタクシーは、どうやらいないらしい。そのあたりはきっちりしている。
タクシー代は、市内まで1800円少々。高いも安いも、他に手段がない。どこに行くべきかも検討がつかないので、とりあえず地球の歩き方に載っていた一番安いホテルまで走らせる。
着いたホテルは共同シャワーの素寒貧な宿だけれど、お代はタクシーより安かった。まあ一晩ならここでいいや、ということで就寝。
2011年12月30日
ジョホールバルはシンガポールに隣接した工業地帯のベッドタウンということもあり、街に並ぶビルはきれいだけれども、あんまり長居したくなる魅力もなさそうな、そんな雰囲気の街。
そそくさと発つことに決め、昼食を摂ってからバスターミナルへ。ほどよく30分後のバトゥパハ行きがあるので、それに乗る。
バトゥパハは詩人金子光晴が愛した、かどうかは知らないけれど、森三千代を追いかけてマレー半島を放浪していたときに長逗留したかつての日本人町で、彼の著作を読んでいた人間としては、せっかくの機会に訪れておきたい。
「街のつきあたりに、満水のバトパハ河のうちひらけるのをながめたとき、私は、しおやまみずのいりまじった水のなかに、頭からずんぶりとつけられたような気がした」
金子光晴:マレー蘭印紀行
バトゥパハ行きのバス、ゆったりリクライニングの3列シート。飛行機も含めて、この旅で一番快適な乗り物かもしれない。
それほどの時間もかからず、バトゥパハに到着。
バスターミナルそばにあった、ガイドブックに載っている中級ホテルの玄関には値下げセールの立て看板があったので、まあ一晩くらいは少々高くてもいいか、とチェックイン。
部屋に入ったあとに、先ほどのバス車中に読みかけの本を忘れたことに気づき、慌ててバスターミナルへ戻る。バスはまだそこにいたが、運転手がどこかに行ってしまったので、しばらくの待ちぼうけ。戻ってきた運転手に中に入れてもらうが、探しても本が見つからず、無念である。
少し町外れの河口にある、金子光晴が泊まっていたという日本人倶楽部の建物を見る。もちろん今はホテルではなくなっているが、当時と変わらない建物が残っていることは感慨深い。それで、バトゥパハは終了。
次はマラッカまで移動したいが、明日の午後までマラッカ行きのバスがないので、のんびりと過ごす。
夕食は立ち並んでいた屋台の風情に惹かれ、ごうごうとバーナーの火であぶられていた、土鍋の鶏飯を注文する。マレー料理っぽく少しとろみの付いたソースがちょっと甘口だが、いける味だ。
そのあとは隣の屋台でライチジュースを飲むと、もうやることもない地方都市の夜。
2011年12月31日
11:45発のバスに間に合うよう、ホテルをチェックアウトしたら、窓口で取れたチケットは12:45発のバスだった。意外と混んでいるなあと思いつつ、全席指定でバスを走らせるあたりは、ほかのASEAN諸国と一線を画す発展度合いともいえる。1時間ほど、バスターミナルでタバコを吹かしながらの時間つぶし。
町中でタバコを吸うことひとつ取っても、国によって少しずつ雰囲気が異なるものだ。インドシナ各国の喫煙許容度でいうと、タイが一番厳しい気はする。逆に寛容なのはカンボジアだろうか。みんなそこらじゅうで紫煙をくゆらせている。ベトナムとマレーシアは、建前が厳しくても、実際はタイよりもタバコが吸いやすい空気だ。
ようやく、今年最後の目的地、マラッカに向け出発。マレーシアのバスは快適だ。2時間ほどで到着する。
マラッカにも日本人宿があるというので訪ねてみるが、残念ながら閉鎖中。しかたなくチャイナタウンに移動し、目にとまった瀟洒なマレー華僑=ババニョナ建築のホテルに宿泊。一泊3,000円と、ゲストハウスに比べればお高めだが、年末年始くらいは贅沢もいいってもんだろう。
マラッカには、初めてバックパッカーの旅をした15年前にも来ようとして、クアラルンプールで高熱を出し、取りやめた思い出がある。なので、初訪問。マレーシアじたいも、それ以来土を踏んだことになる。
大晦日ということもあり、街は観光客で溢れかえっている。なかでもチャイナタウンは歩行者天国で、年の瀬に寂しさを味わうことなく済んだのはうれしい。
本日の夕食はポルトガル料理。というよりも、はるか昔にポルトガル人が伝えた料理が現地風になったものを食べる。アジアの味とはまた異なり、アサリのオイル蒸しなどなかなか美味しかった。
店を出るときに、店員から「Happy new year!」と声をかけられる。そうだ。2011年も今日で終わりだ。
1月1日
部屋の中にいても、さっきから花火の上がる音が聴こえてくる。東南アジアらしい新年の夜。
二度寝して起きると、鼻水、倦怠感、微熱ということで、どうやらちょっとした風邪をひいたみたいだ。午後まで部屋で休んでいると、ルームクリーニングで起こされる。一年の計もあったもんじゃない元旦だ。
町歩きしながら、今年の初カフェに選んだのは、「Far East Cafe」。名前がいいね。極東喫茶とはふるっている。
夕食代わりに屋台で買い食いしながら、宿に戻る。ちょっといいホテルに泊まると、ロビーがあるのがいい。部屋に籠もるよりはゆったり本を読める。が、向かいの椅子からはピコピコと電子音が聞こえてくる。ここだけにかぎった話じゃないけれど、中国人にスマートフォンを持たせると、ゲームの音が本当にうるさい。マナーがない国民なのかしら、と思わざるを得ない。
1月2日
洗濯屋まで、頼んだ洗濯物をとりにい取りに行く。と、僕の衣服は全部別のゲストが持って旅立ってしまった、という、旅先ではあまり遭遇したくない事態が発生。
やれやれ、勘弁してほしい。なんという新年だ。
アンラッキーだったね、代わりに彼の服を持っていくか、と暢気なことを言い出す店のオヤジと、弁償額を巡って大揉めに揉める。
「Tシャツは20$、パンツは10$するんだ、日本製だぞ、マレーシア製と違うんだぞ、オレは日本製品しか買い直したくない」
後から思えば、大変失礼な物言いではあった。申し訳ない。
親父はそんな値段信じられない、という顔で首を横に振る。結局当事者同士ではまとまるはなしでもなく、警官まで呼んで、結局160リンギットで手打ち。日本円で3500円。まあしかたのないところか。全部クアラルンプールで買い直しだ。
気を取り直して、世界遺産マラッカの要塞跡へ。マラッカにはトライショーという三輪自転車がタクシー代わりに走っているが、どのトライショーも座席の後部にスピーカーをつけ、客引きのつもりか、大音量の音楽を流しながら走っている。マラッカの風情は、残念ながらこれで台無しである。
今日は地元名物、ババニョニャ料理の店に来てみた。外から覗いたところ、地元客で大繁盛なので、まあハズレも少なかろう、と席につく。
座ると同時に、なぜか付き出しとしてエビせんべいが出てくた。ここらへんはインドネシアに似ている。
注文したババニョニャ名物の鶏肉煮込みはやっぱり甘辛くて、一口目はまったく口に合わないのだが、この甘くてコクのある味は地元名古屋の土手みそ煮と同じだな、と思った瞬間に、慣れた。逆に言えば、名古屋の味噌味だって、他の土地の人にはかなりキツいのかもしれない。
ちょうど夜のとばりが下りる時間に、市街を一望するマラッカタワーに上る。作りが面白く、展望台がぐるぐると回転しながら上昇していく。タワーからはマラッカ海峡の夕焼けと、マラッカの夜景が一度に見ることができる。
少し早めだけれども、雨も降ってきたことなので、ホテルへの道を急ぐ。平日のチャイナタウンは屋台も出ておらず、店もほとんど閉まっていて薄暗い裏町となっていた。たまたまだけれど、土日の滞在でよかったな。