読了ということ

セリーヌ「夜の果ての旅」を読了した。ドストエフスキー「罪と罰」以来の衝撃の一作だった。「罪と罰」の読了は、出張中の京浜東北線の中だったけれど、今回は近所の喫茶店。この変化、落ち着いたと言うべきかもしれないし、堕落と呼んでも差し支えはあるまい。京浜東北線の方がドラマティックではあったけれど。あの瞬間、車内の雑踏は、確かに、一瞬にしてフェードアウトしたもんな。

セリーヌは中公文庫、ドストエフスキーは新潮文庫で読んだが、人に言わせると両者とも訳が物足りないらしい。「夜の果ての旅」は国書刊行会が一番で、「罪と罰」は岩波文庫に限るとのこと。
国書刊行会は(値段が折り合わないので)さておき、岩波文庫にはアレルギーがある。あの小さくて読みにくい活字、格式張った翻訳。岩波にしかないものは買うけれど、それ以外はなるべく避けて通ってきたのがわたしだ。

「岩波文庫が読めない」というのは読書を趣味とする人間にとって結構コンプレックスなのだ。己の知性をクリティカルに測られている気分になる。ああ、恨むべきは粗雑なおつむ。

「セリ-ヌの作品 第1巻(夜の果てへの旅)」国書刊行会
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9850073349


最近本屋さんで岩波文庫の「罪と罰」を手に取ってみたら、版が変わって訳も読みやすくなっていた。よしよし。

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