南国の寿次第-14:Count down 2008/12/31

今日は、いろいろあった2008年最後の日。前半はひたすら同居の新生活に追われつつ、仕事ではひとつのサービスをリリースし、6月にエンゲージリングを買い、7月に婚約的な食事会をして、それから半年はひたすら結婚式の準備。感慨深いそんな日に、まだ僕はトイレとお友だち。体調が悪いのも困ったもんだ。

とはいえ、昼も過ぎるとようやく動けるようになってきたので、部屋の外に出る。大晦日ということで、ホテルも飾り付けに余念がない。フロントで、今晩のディナーのチケットを渡され、どことなくスタッフもうきうきとしている。
もちろん、このチケットはサービスなどではなく、1人65$も払った年末チャージの代わりだ。東南アジアのホテルでは「ガラディナー」(Gala : 祝祭)という習慣があり、クリスマスや年末年始のホテル代を上げるかわりに、ディナーを強制パッケージにして売るという商売が当たり前になっている。もとはヨーロッパ由来のものなのだそうだ。

夕方前に、数日前の結婚式を思い出させるような、楽隊のガムランが鳴り渡り出す。見ると、民族衣装に身を包んだ、おそらくは周辺のホテルマンたちが、楽隊を組んで島の表通りを練り歩く。お祭り騒ぎの始まりだ。

喧噪をよそに、裏通りを抜け、島の中央にある小山に登ってみることにする。妻は昨日僕が寝ている間に島の海沿いを一周したそうだけれども、まだ内陸には入っていない、とのことなので、二人で観光客が集まるエリアを抜け、地元の集落の横を奥へと歩いていく。住宅街を抜けると、山羊が放牧されている丘陵が広がり、さらに坂を上がっていくと、海が見える見晴らしの良い高台に出た。島を挟み込んでいるロンボク海峡と、その向こうにある本島が一望のもと。少し離れたところには、旧日本軍の陣地跡、との説明書きが立っている。こんなところまで日本軍は来たんだなあ、と思うのだが、21世紀の現在に至っても、マラッカ海峡を通れない船腹の大型タンカーなどはここロンボク海峡を抜けてインド洋から南シナ海へ航行するのだそうだ。小さな観光地の島だけれども、一方では海運のパイプラインを扼する要衝でもあるわけだ。もっとも、別に今は取り立てて緊張した空気があるわけではないけれど。

山を下り終えるころにはもう夕暮れになっており、いったん部屋に戻ってレストランに行ってみると、そのときには賑やかなビュッフェが始まっていた。ここ2日ほどまともに固形物を食べていないので、コックがひっきりなしに焼いてくれるバーベキューや、インドネシア料理を食べる。ステージではDJとバンドが爆音を鳴らし始め、普段はのんびりした空気に包まれた島が、興奮した空気に変貌。お祭り好きな西洋人が多いこともあって、アジアだかそうでないのかよく分からない、無国籍な空気がかもし出されていた。

どうやらこのパーティーは朝まで続くらしく、とても付き合っていられないので、日付が変わる前には部屋に引き上げた。部屋からもバンドの音がよく聞こえる。こんな中で寝られるのかな、と思いつつ、いつの間にか寝てしまった。

大晦日のカウントダウンパーティーにそなえ、ホテルもデコレーション中。 ホテルに居ついている猫の家族。毎朝食事どきだけすり寄ってくる。 年末の祝い、ということで、海岸沿いのメインロードを楽隊が練り歩く。 そんな華やいだ雰囲気のなか、一歩島の内部に入ってみるといつもと変わらぬ生活があった。 体力回復したので、島の中央にある高台に登ってみる。日本軍の陣地跡があった。

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