ちょいと相談を受けた。
まあ、薬にしたくとも鰯の頭くらいにしか役に立たぬ僕に相談をする時点でそうとう大変なんだろうなぁと、こうみえて一応、自分の性格を自覚した上でのぞんでみたりするのだ。
聞いてみて、相談した本人の気持ちもよく分かるし、相談の対象となっている人の問題点も分かるし、逆に対象に同情すべきところも当然あり、結論としては世の中善意で回っていくほど甘くねーな、という身も蓋もない総論に落ち着くほかはない。だって何かものすごぉい悪意や劣後が存在するわけではなくて、多くの場合、「問題」と呼ばれるものはほんの少しずつの悪意と劣後がぽつぽつと雨だれのように現実を穿って姿を現すのだ。メイビー。
で、穴ぼこだらけの現実に問題があると言い切ってみる偽善家の方が世間知らずなのか、穴ぼこをふさぐ日常がオトナデイズってもんよねと嘯く方がシニカルすぎるのか、正直な気持ち、僕には何ともいえない。孔子さまの如く中庸が真実なのだろうけれど、いつだって振り子は揺れ動くままに右や左を指す。振り子だって真ん中あたり微妙なラインをぴったり指せ、といわれたって困るだろう。世人兎角振り子の如し。
人の心配をしながら、僕だって揺れ続けているし、揺れ続ける僕の中にある左や右の端っこを指し示す人もいる。揺れることに正解はなく、ましてやその端っこを指摘したところで遼遠の真実にはほど遠い。
結局のところ、僕はそうやって、シニスムの殻の中で生きている。殻の中には何もないけれど、殻の外側に何があるわけでもない場所で。
・・・相談を持ちかけてくれた人、ありがとう。僕が考えるきっかけになりました。
・・・でも役に立たなくてごめんなさい。
相談する時点でだいたい結論が出ていることが多いっすよね。
答えが聞きたいんじゃなくて、背中を押して欲しいだけだったり。
またまにはマジで答えを求められるときがありますが、そういう時は大概しゃれにならないヘビーな相談ですが・・・。
押したつもりが袖を引っ張っていたり、強く押しすぎて相手がつんのめったりする傾向があるので、きおつけたいとおもいます。
穴ぼこだらけの現実に問題があると言い切ってみる偽善家
『偽善家』なんですか?
偽善者の方がよかったでしょうか・・・という言葉尻の問題もありますが、偽善家といって悪ければ書生論者でしょうか。いずれにしても渡る世間が狭くなるのは間違いないということで。