戦前についてのシンクロニシティーと妄想

最近ずっと、明治後半~太平洋戦争時代の歴史ものにはまっている。昔から好きだったけれど、戦史や兵器ではなく、外交問題に焦点をあてた本中心。

この時代の外交についておおざっぱにまとめると

・日英同盟はよかった。
・明治の元勲は退くべきタイミングをわきまえていた。
・満州国はまだしも、どうして蒋介石と戦争してしまったのか。トラウトマン仲介をはじめ、和平のタイミングもあったのにその道をとらなかった。
・日独伊三国同盟で、本当に共同戦線が張れると思ったのか?
・アメリカと妥協できなかったのか。中国大陸も仏印も、武力で抑える必要などなかった。

まあこんな感じで、つまりは国家意志の不在と理由なき民衆の熱狂が、逆に流されるようにものごとを進めてしまったことを検証するかたちとなっている。

僕が今この時代にいきなり興味を持ち出したのは、何だか本能的な直感なのかもしれないなぁ、と贔屓目で考えてみる。もちろんいきなり泥沼の戦争に踏み出すという意味ではなく、国家意志の不在と民衆の熱狂が、どう考えてもマイナスの未来を作り出しかねない現状にオーバーラップしてしまうのだ。つまりはアメリカ型競争社会の功罪や日本社会への適合可能性を検証することなく、郵便局はぐちゃぐちゃの民営化、労働者は流動化というか流浪民化して、若者には希望格差社会が到来し、そして団塊の世代は年金がもらえず子供はニート。すべてが原因とは言わないまでも、この状況は明らかにバブル崩壊以後の社会トレンドの副産物ではないのか。

そしてなぜその動きが止められないのか、という点については、やっぱり同じ民族である戦前日本がたどった「何となく転落」が一番参考に値すると思う。つまりはそういうわけで。
・・・正直なところ、歴史を教訓的に読むこと自体、オヤジへの第一歩なのかもしれないけれど。

せっかくなので、ついでに僕が考える戦前日本のifは、

・満州国建国はOK。石炭とれるし。
・盧溝橋事件か上海事変の段階で、蒋介石の国民政府に恩を売るかたちで停戦。何なら円借款をして、英米同様国民政府のスポンサーになる。どうせそのうち毛沢東の共産ゲリラと泥沼の内戦になるので、中国大陸はスターリンの介入がないかぎりそのまま放置。
・北部→南部仏印進駐後にハル・ノートが突き付けられたら、とりあえず条件交渉。イギリスはヒトラーで手一杯なので、三国同盟破棄・中国大陸不介入・ビルマにもマレーにも手を出さない、を条件に、出来れば仏印無理なら満州国だけでも承認させて上がり。ハル=ルーズベルトが乗ってこなくても、チャーチルとなら妥協の余地がある。日英同盟復活。遊んでいる連合艦隊で、インド洋の航商路を守ってあげたりもおまけでつけちゃえ。
・中国大陸は、 満蒙と遼東半島=日本、香港と広州あたり=イギリス、上海=アメリカ で分割。アメリカの中国利権を認めて貿易だけできるのならそれで何にも問題ない。そのうちソ連と毛沢東が一緒に手を取るので、いやがうえにもアメリカはソ連国境線を抑えている日本と組まざるを得なくなる。

たまにこういうことを考えるのは楽しい。最近、グランドデザインを書く仕事をしていないからでしょうか。

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