南国の寿次第-16:最後の悦楽へ 2009/01/02

長い旅も、いよいよ最終幕にさしかかった。今日は1週間にわたるロンボク滞在を終え、バリ島に戻る日になる。

ソフィテルでの優雅な日々からこのかた、どんどん朝食の内容が劣化しているのだけれども、今日はほんとうに田舎旅館のビュッフェという感じ。西洋風のものがだいぶ姿を消しており、ソーセージも現地のものになっている。焼きそばやら焼き野菜やらが多い。
バックパッカー歴が長いわりには、朝食だけは世界中どこに行ってもコーヒーとトースト、と決めており、うまいコーヒーが飲める店ならラオスの山奥でも日本の喫茶店と変わらない金額を出してきた男である。そういう意味では切ないのだけれど、妻は文句も言わずに朝から現地の料理を食べていた。たくましくてよろしい。僕より渡航経歴は少ないのだけれど、過去何度か一緒に旅行した経験からみるにつけ、食事やホテルへの拒絶反応があまり出ない人だなあ、と思う。

帰りの飛行機は15:00発で、13:30にはピックアップが来る。それまで市内観光でもしようか、ということになり、ホテルのそばの大通りでベモを止めて乗り込む。ベモとは、ミニバンの後部座席をロングシートに改造した庶民の足。公共交通か、といえばそんな気もするけれど、実際には運転手が旦那、助手席に嫁と子供が乗っていたりして、運営形態は個人タクシーに限りなく近い。東南アジアらしい、ゆるやかで未分化な世界観を垣間見る乗り物だ。こんな感じの乗り物。
問題は値段もタクシーに近いことで、現地の人の相場はあるのだろうけど、だいたい観光客はボラれるということ。何度も繰り返しになるけれど、インドネシアは公共的な乗り物でもふっかけてくる。今回は10分弱の市内移動で1人5,000Rp.(=¥45)だったけど、僕らが払い終えて下車した後、隣のおばさんが支払っていたのはどうみても1,000Rp.札が2枚か3枚。この程度は割り切らないと旅ができない国である。

で、向かったのはマユラ宮殿。これはバリにあった王朝が作った宮殿で、水堀が囲んでいることから「水の宮殿」とも称される。インドネシアを植民地化したオランダ人とバリ人の戦いの舞台となったところでもある。
ややこしいのはオランダ軍に現地のササック人が協力してバリ軍と戦ったことであり、微妙に多民族な国家の難しさを象徴する場所でもあるのだ。宮殿への入場は寄進、ということで1人5,000Rp.を支払う。まあ、どう見ても現地の人は自由気ままに出入りしているのだけれども。鶏が放されて、ひよこ連れの親鶏が虫をついばんだりしており、妻がひよこを追いかけ回して親鶏に怒られたりしている。釣り人は堀に釣り糸を垂れ、まことにのどかなかつての歴史遺産である。

宮殿から道を挟んだすぐ向かいには、ロンボクヒンドゥーの総本山と言われるメル寺院がある。もちろんそこにも訪れてみる。ガイドのような人が出てきて、逐一まあまあ分かりやすい英語で寺院や建物の説明をしてくれ、祭りの時に使う祭具を見せてもらったりする。そぼくな茅葺きの塔が建っており、人の影も見あたらず、知らなければ総本山などと思いもよらない鄙びたお寺である。最後はお決まりの「ご寄進を」ということで、2人で45,000Rp.(=¥400)を支払い、寺を後にする。
そろそろ昼前で、ほんとうに暑い。見かけたカフェに飛び込み、レモンスカッシュを注文する。炭酸と柑橘の酸味が、喉を癒してくれる。ふだんは炭酸飲料をほとんど飲まないのだけれども、インドネシア滞在中はちょいちょいと手を出した。つまりはそれほど暑くて、乾燥した空気なのだ。

空港に向かう前に、食事は昨日行って満足した「ディルガハユ」にて。相変わらずアヤムプルチンがうまい。隣に家族連れが来ていて、子供が緑色のクリームソーダを飲んでいるのを見て、妻が躊躇なく店員に同じものを頼んでいる。氷も入っているしなあ、と見ていて思ったのは事実だけど、まあ大丈夫だろう、と思ってスルーした。そううまいものでもないらしいが、妻はしごくご満悦な顔だった。そしてこれが妻の数日を狂わせることになるのであった…。

送迎バスには、ランガウィサタツアーのマネージャーでもある宮本さんが乗ってきていて、僕らを出迎えてくれた。ちゃきちゃきの関西弁を話す元気な女性で、こうでなきゃロンボクで旅行会社を切り盛りできないよなあ、と感心する。彼女のおかげで、面倒な手配を一切投げて旅ができたので、感謝である。ハネムーンということでちょっとしたプレゼントをもらい、空港で手を振って別れる。

また小さなプロペラ機に乗り、予定どおりデンパサールの空港には16時前に到着。ところが、出迎えに来てくれるはずのガイドさんがいない。しばらく待ちぼうけをくらったあと、謝りながら現れたのは、ウブドのヴィラ手配をお願いした「Balitabi.com」のイニョマン(I Nyoman)さん。会社のオーナーさんでした。出迎えは遅くなったけれど、手配内容や料金は悪くないです。

イニョマンさんの車はぴかぴかの4WDで、友人の車に乗っている感覚。日本に2年ほど語学留学していたとのことで、日本語はペラペラ。先日のツアーでお世話になったサマダナさんといい、日本語で説明ができる、というレベルを超えて、ネイティブなみだ。
以前にも見かけた、そこらじゅうの選挙ポスターを指さして、バリは選挙がすごいですねえ、と訊くと、イニョマンさんはちょっと困ったような顔をして「実は、僕のお姉さんも選挙に出るんですよ」とのこと。それじゃ応援しなくちゃね、と言うと、「僕は政治には興味がないんです」とのこと。ノンポリの二代目、ってことなんだろうか。ウブドへの道すがら、彼の実家の脇を通り過ぎ、「これが僕の実家です」と教えてくれたが、立派な門がある豪邸だった。この家といいお姉さんが出馬することといい、そもそも本人の語学留学といい、相当いいおうちの坊ちゃんなんだろうな、と思う。

やがて車は、ウブド郊外にある「ARMA Resort(アルマリゾート)」に到着。ここは美術館に併設されたArtisticなホテルで、以前はココカン・ホテルと呼ばれていたものが、ヴィラを新設して名前を変えたとのこと。フロントの建物からして、美術館のひとつみたいだ。

新婚旅行だけに、一度はヴィラに泊まりたいよね!と強く主張したのは実は妻ではなくて僕で、妻はほんとうにどうでも良さそうだったので、一人でいろいろヴィラを調べていた。ウブドのヴィラといえばフォーシーズンかアマンリゾーツか、というハイクラスから始まるけれど、さすがに1泊600$は出せぬ。という結論になるので、300$以下の手頃なところで調べていて候補に挙がったのは

というラインナップ。町歩きが好きな僕らとしては、郊外ステイ型の後者3つはパス。で、最初はARMA Resortなんてアンテナにも引っかかっていなかったのだけれども、Kajane MuaとKomaneka Resortのヴィラが実はもういっぱいということになり、くだんのイニョマンさんが勧めてくれたのがARMAというわけだ。
美術館併設、ってのはいいね、ということで決めたのだけれど、これが大正解。広い広い、川まで流れる敷地の奥に、僕らのヴィラがあり、完全に生け垣で囲われているのでプライベート感満載。目の前はバリの田園が広がっており、昼間はアヒルの親子連れが、夜は飛び交う“クナンクナン”=蛍が見られる。
敷地内にはプライベートプールと東屋があり、室内は見事なバリ様式の建築になっている。高い天井と広いベッド、小さな池の横にあるバスタブと、人生で宿泊したホテルNo.1に、現在も燦然と輝いております。これで1泊朝食付きにて250$(=¥25,000)。日本のシティホテルに泊まるのとほぼ同額で、こんな快適な空間を使えてよいのかしら、と思う。かえすがえすも残念なのは、カメラが水没してしまったことだ。

Lonely Planetには、ここのタイ料理レストランはおすすめ、と書いてあり、インドネシア料理に食傷してしまったことも手伝い夕食はここに決める。ホテルのメインダイニングになっており、オープンスペースのこじゃれた雰囲気の「ココカン・レストラン」にて、ソムタム、トムヤムガイ、チキンカレー、クンオプウンセンを食べる。これが大当たりで、バンコクの一流店に匹敵する味。もちろんお勘定もそれなりで、チップ込みにサインし直した額は600,000Rp.(=¥5,400)。

部屋に戻り、夜の闇に浮かぶプルメリアの花と、遠くにまたたく蛍の光を眺めながら、お外のデイベッドで煙草を吹かす。まことに極楽のようなところです。

マタラム市内にあるメル寺院。素朴なヒンドゥー教の寺院だった。

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