豊かさとは何か2003

昔祖母からは「人生いいことばかりはないもんだ。人間苦労は買ってでもしろ。」と教えを受けて育った。で社会に出てみると大不況で、というか正確にはこれ以上経済成長が見込めない社会で、苦労がなかなか報われる気配がなく、どうも先達の教えと勝手が違って戸惑っている世代が、1976年生まれの僕たちである。親の教えをもう一度思い起こしながら、改めて現在の彼らの姿を見つめ直してみるんである。

僕の祖父母は戦前の高揚、戦争・戦後の混乱を経て戦後の復興期を支えた世代であり、父母の世代は「貧しい日本」に生まれて高度成長を体現してきた。努力は善であり、生産こそが力だという信念に支えられた世代だとも言ってよいだろう。原則として余暇とは「明日への活力」という目的性を持っていて、目的無き快楽は悪だと潜在的に思っている。つまるところが仕事をすることこそが人生の目的でもあり日々の営みそのものでもあるのだ。
紋切り型という批判を恐れずに言い切れば、まあそうだろう。

で、努力と生産という仕事一筋の彼らは、果実としての”Japanese Dream”の成果を一身に受けることができた。で、端で見ていて幸せなのかどうかは判定の難しいところである。仕事以外の自分の虚無に気付くことが怖く、一生懸命幸せだったと呪文を唱えてみたり、六十を過ぎても仕事に打ち込んでみたり、豊かになったことで十分じゃないかと言い聞かせてみたり、必死で大金を遣う『余暇』を費やしてみたり、あるいはさらなる金銭的な豊かさを追い求めてみたり、あまり幸せそうではないんである。どちらかといえば、いささかに醜い。
彼らの追い求め続ける努力と生産という名の信仰の到達点がそんな姿の中、今更努力と生産だけを善美として生きていくことを真似できる若者がいたら、かなりご奇特なのではないだろうか。フリーターを決して正しいとは思わないし、なりたいとも思わないけれど、無意識のレミング的行動としてのその生き方には、一定の共感を覚える。子供とメシも食えず一週間の休みも取れず、只働いて25年ローンのウサギ小屋を買う生活に埋没できる生き方を模倣できる若者が大多数になったら、フリーターやひきこもりの増加なんかよりもよっぽど日本民族滅亡なんではないのか。

『子は親の背中を見て育つ』という至言があるが、今の日本は子が親に背を向けたことが生み出した停滞の中にいるように思える。僕は生まれたときからテレビがあってハンバーガー食い散らかしている(嘘だ。子供の頃、まだハンバーガーは休日のご馳走だった)世代に属しているけれども、豊かであるからこそ、『(経済的に)豊かになるため』ではない生き方ってやつも模索してみたいもんだ。

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6 Responses to 豊かさとは何か2003

  1. 茫猿 のコメント:

    一般論として云うにしても、随分と勝手だね。
    短くまとめるのは難しいが、親が親たりえず、子が子たりえない時に、親は何処(ドチラ)を向き子は何処(イズコ)をたずねたらよいのだろうか。
     なにやかやと忙しいし、難しいから読み下せていないが、日経朝刊の新リヤ王が刊行されたらじっくりと読もうと思っている。

  2. Masahiro のコメント:

    いやまあ、一般論ですので・・・。
    決してリスペクトしていないわけではないんですが、最近の『揺り戻しモーレツ主義』にはどうも団塊世代の皆様の懐古主義があるように思えてしょうがないだけなのです。平たくいえば、「俺たちもイッショケンメやってるから、古い価値観押しつけるなやいっ」って感じですかね。団塊の連中よ、お願いだから社会学のテキスト読んでっていうか。

  3. jujube のコメント:

    長く海外に暮らした後、日本に帰ってみると、日本の暮らし、価値観、豊かさの基準がいろいろ奇妙に思えます。
    まあ、もっと遡ると、元々違和感を感じていたから日本を出たのですが。
    そんな私の違和感とつながる書き込みをここに見つけた気がしました。

  4. ひぃぞう のコメント:

    残念ながら?茫猿さんに1票。私はここにあるような難しい日本語表現はしるよしもありませんが、高度経済成長を歩んできたみなさんはやはり尊敬に値すべき先達ですよね。
    価値観の押しつけはその先達も時には理不尽に受けてきたハズ...そのあたりは繰り返しじゃないかな?我々ももう20年もすれば必ず疎ましがられると思いますよ。しかも確実に年功序列が崩壊した状況でね。働く=善でいいと思いますよ。もっともその意識の持ち方は問題ですけど。で結局その働くが次の世代に受け継がれる事を信じようではありませんか!団塊のみなさまの中には途方もないドアホもたくさんいますけどもう10年早く生まれていたら定年で退職金ももらえていたのに..出生者が多い為に競争の中で生きてきて×になる方を考えるとなんとなくお気の毒ですし、その子供の世代も荒れているのは重ねてお気の毒です。
    ただ、もうすこし若手を信じてみてもいいのでは?これはお願いですかね。

  5. Masahiro のコメント:

    コメントをたくさん頂きありがとうございます。
    皆様の想いを直撃してしまったのでしょうか・・・

    jujubeさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    私はちょうどjujubeさんと逆で、「これから海外に出たい」と思っている人間だったりします。(笑
    決して日本がイヤなわけではなく、むしろ(いろいろな意味で)フィジビリティのある『豊かな』環境だとは思うのですが、ただひたすらに閉塞感を馴れ合いで認め続ける昨今の風潮と、成功体験だけを自慢する老害に嫌気がさす27歳、というのが素直な思いでしょうか。

    ひぃぞうさま、お忙しい中コメントどうもです。おっしゃること良くわかります。決して先達を尊敬しないわけではないのですが、反抗って若さの特権かなぁと。友人に月給12万円で、バンコクで働いていたりする人がいるのを見るとついつい我が身を振り返ってしまいます。『幸せ』の定義が、豊かさの中で多様化していることを目の当たりにして、いろいろ思い悩んだり。僕もラオスあたりで月給10万円の仕事ないかなぁ、とか。(^^ゞ

  6. ひぃぞう のコメント:

    反抗は若さの特権ですか...まさにそれはそのとおりですね。ただ人により考え方は様々ですが子は一人で大人になるわけではなく、大人になっても子はいつまでも子だと最近思うのです。もっと言うと自分の幸せは自分だけの幸せではなという事です。確かに幸せの定義は多様化していますが、自分の親の幸せも含めて自分の幸せなんだと。もちろん親はなんら子供からの幸せの提供なぞ期待しないでしょう。
    と口ではいいますが完全に離れてしまうのもさ寂しいハズ。ささやかですが孫を抱かせてやる。抱ける喜びを提供するのも子のつとめかと..そこは時代が変わっても変化しないと思います。そんな私のしがらみから日本での暮らしを選択しただけの話しです。ラオス!いいですね。まさひろさんのお父様ならお許しいただけるのでは( ̄ー ̄)ニヤリ

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