亜細亜へめぐり紀行07

2011年12月25日

寝台の中で目が覚めたら、列車はバンコクの旧空港最寄駅、ドンムァンに停車していた。ここいらも大洪水の影響で水びたしになったというけれど、外を見たかぎりでは、もう平常の風景に戻っている。

バンコクはファランポーン駅に、久びさに降り立つ。朝もまだ早いので、安宿街のカオサンへ行く前に、駅構内にある、チェーン展開のコーヒーショップ、Black Canyonのカフェラテとクロワッサン。
ちょうど隣に座っていた、出張中という流暢な英語をしゃべるおじさんと会話しながらの朝食。これぞ旅の朝、という雰囲気だ。

駅を出て、タクシーでカオサンに向かい、宿探しの朝とする。
iPhoneをネットに接続しながら車に乗っていると、市内の3G通信エリアはこの春や秋よりさらに広くなっている気がする。速度もソフトバンクより快適なくらい。

カオサンの向かい、お寺の裏通りにある「Bella Bella House」というゲストハウスにチェックイン。ファンルームで410B、ざっくり1,200円というところ。きょうびのカオサンは安宿も値上がりしているので、これくらいならリーズナブルの範疇にはいる。
館内のWiFiも快適な速度だが、このご時世に有料で、20分15Bというのがちょっとひっかかるところではあるけれど。

大都会バンコク。何度となく訪れたホームグラウンドみたいな街に来ると、ちょっと気分も変わるってものだ。
宿のPCを借り、今後の旅のスケジュールを練る。しばらくはバンコクに滞在し、年末の29日にはクアラルンプール乗り継ぎのエアアジアを使い、ユーラシア大陸の南端、マレーシアのジョホールバルまで一気に飛ぶことにした。
航空券もネットで無事予約済み。2フライトで1.5万円強。ほんとうに飛行機が安い時代になった。

タクシーで繁華街へ舞い戻り、よく行くレストランでタイ料理。
ガイヤーンにソムタムを食べて、バンコク市街の北西に位置する戦勝記念塔から、高架鉄道BTSの乗客に。
最近は英語ではなく、日本語のプリントTシャツを着ている若者も見かけるようになったけれど、目の前に立つ女の子の胸には大きく「ヘタクソ」とカタカナが描かれている。きっと日本語の意味を知らずに着ているんだろう。昔の日本の若い子と同じだ。

服飾が中心のプラトゥーナム市場には、なぜか格安のマッサージ屋が多い。
マッサージ屋が密集して入っているビルの名前が、おしゃれに「パラジウムモール」と改名されていて、これはマッサージ屋もなくなったか、と思ったけれど、中は以前のまま。薄暗い雰囲気もおなじ。ここの極楽フットマッサージは、チップ込にて45分で140B。ほんとうに安い。

数え切れないほどの服屋や雑貨屋が入る、プラチナムモールに行ってみる。
いつのまにか隣にはノボテルブランドのホテルも入り、ますます原宿っぽく見える。
プノンペンやホーチミンを見てからやってきた身には、バンコクでさえ、落ち着いた大都会に映る。この街で一番小汚いのは、実は外国人観光客だったりする。

少し歩いた伊勢丹では、バイオリンとピアノの生演奏が開催されている。クリスマスらしく、流れているのはワム!のラストクリスマス。常夏の国で、ちょっとだけ年末気分だ。

読む本がなくなってきたので、伊勢丹にある紀伊国屋書店で文庫本をまとめて購入。輸入品になるので、まとめて買うとけっこうな値段になる。
ついでにユニクロで、シルキードライのつるつるボクサーパンツが欲しかったんだが、バンコクでは売っていないとのこと。タイ人にはウケないのかな、あの肌触り。
スタバで買った文庫を読もうと思ったら、大混雑で満席。消費水準は、もう東京と変わらなくなってきた。それが一部の階層だとしても。

ショッピングを楽しんだ後カオサンに戻ってきたら、カオサンの目の前を走る道路が、賑やかなホコ天になっている。
宿をとっている裏通りは静か、というイメージがあったけれど、今はユーロビートのジングルベルが、サーチライトと一緒にカオサンから流れてくる。カオサンはますますおかしな感じに進化していて、昔日の面影はほんとうに消えてしまった。

そして夕食を食べに、カオサン通りご本尊へ行ってみると、ここは六本木か、という光景。外国人だけでなく、ちょっと遊び人風のタイ人が集まる傾向が加速しているみたいだ。

そんな中でも、レストランで、カタコトのタイ語を使ってみれば、やっぱり本当のタイ人の微笑みを見られる気がする。気がするだけにしても、悪くないもんだ。

2011年12月26日

本日は早起きして、ファランポーン駅から小旅行。遺跡があるロッブリーまで、3時間ほどの汽車旅だ。

当日購入で、エアコンのディーゼル特急の切符が買えた。ありがたい。
駅員さんには「そんな短距離なのに特急に乗るの?」という顔をされた。特急料金は短距離ほど割高なので、それが当然の反応かもしれない。確かに高い。

列車の出発を待つ。バスターミナルでの待ち時間や、バスの乗車時間は苦になるのだけれど、駅や列車でのそれは、まったく平気なたちである。
よっぽど鉄道が性に合うのだろう。バスより開放感もある。

特急がバンコク市街を抜けたころから、土嚢の跡、急拵えの堤防、満タンの貯水池、稲が薙ぎ倒された水田。そんな風景が目に入る。先ごろの大洪水の残滓が、まだまだあちこちに残っていた。

ロッブリーに到着。それほど大きな町でもなく、遺跡は駅のそばにかたまっているので、歩いて一時間もあればじゅうぶん回れる。
ここロッブリーは「猿の町」として有名だ。確かに遺跡へ入ると、そこいらじゅうにお猿さんがたくさん。
だいたい猿はいたずら好きなので、近寄ってこないかとひやひやしていたけれど、これだけ慣れていると、向こうも素知らぬ顔で、自由にくつろいでいる。たまにキッキと声を上げて、喧嘩する姿が見える。

遺跡そのものは大したことがなかったけれど、町中のお猿さんで満足。
駅に戻ってみると、都合のよいことに列車は遅れてやってくるとのこと。合間をぬって汁ビーフンを食べ、ゆっくりバンコクへ戻る。

バンコク中心部にある、広大なルンピニー公園を散策。雑踏ばかりの都心にも、こんな綺麗な公園があったと気付く。
いつも外から眺めるだけで、中から見たことはなかった。ゆっくりした旅の功徳って、こういうものなのかもしれないな、と思う。

今日の夕食は、大好物であるナンプラー漬の生海老に、牡蠣の卵とじ。勝手知ったる街だけに、ついつい贅沢になりがちだ。

その帰り道、アソークの交差点に出来たばかりのターミナル21というショッピングモールへ。テナントは観光客向けではないにせよ、バンコクのデパートとしてはかなり充実した部類に入る。
面白いのは、各階ごとに世界の都市名がついていて、我らがTokyoもしっかり1フロアを占めている。ぐるっと吹き抜けを回る回廊の柱に山手線の駅名が付いていて、それが目印になっていた。

驚いたのは、トイレがウォシュレットだったこと。どんどん快適になっていくし、東京と変わらなくなってくることを実感したのは、ウォシュレットかもしれない。

2011年12月27日

今日は読書の日と決める。といってつい1週間前にも、漫画の日があったことを思い出す。旅は週休一日制、といったところかな。

そんなわけで、小説をカフェで読んでいたのだけれども、ここカオサン通りに「漫画休憩室」なるものがあることを知ってしまった。
もちろんネットで見つけたのだけれども、ネットって便利なのか、旅を味気なくしているのか、悩ましいところだ。トラベルからトラブルが減ったのは確かなんだけど。

そんなわけで、漫画室にこもり、屋台メシを食べ、マレー風パンケーキのロティなど買い食いし、そしてカフェでタバコを吹かす。まったく怠惰な一日を過ごすコース。
独り旅をすると自分との対話が進むものだと思っていたけれど、あまりにもゆるやかに時間を過ごすと、対話の前に、自分の心も休憩している感じがした。

2011年12月28日

何度となく来ているバンコクだけれども、今回初めて国立博物館を訪れた。カオサンからほど近い。歩いて10分ほど。
時間つぶしのつもりで、それほど期待せずに入ったのだけれど、先史時代から始まる展示はかなりのボリュームで、英語の説明も豊富。
ヘタな遺跡巡りよりもレベルの高い仏像や工芸品が集まっている。なんで今まで行かなかったんだろう、と思う。

じっくり時間をかけた見学のあと、どうせなら蟹のカレーで有名なソンブーンでシーフード、と思い立つ。が、たどり着いてみると営業は夕方から。気分は蟹カレーだっただけに、いささか切ない。
いいものを食べたいモードに火がつくと、なかなか適当なご飯を食べる気にはなれず、代わりにタイ料理の名店、マンゴーツリーへ。2、3品頼んだだけにしては、さすがいい値段がする。東京にも丸ビルに支店があり、ここはそういえば妻と行ったことがある。そのうち、本場に連れていきたいものだ。ちょっと心の中で手を合わせてしまう。
味も雰囲気もいうことなく、確かに高いだけ、美味い。腹がくちくなったらさっさと帰りたくなったので、またタクシーでカオサンへ。行きはボートとBTSを乗り継いで来たけれど、行きはよいよい帰りは面倒ってなもんだ。

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