1997/10/08 9日目

 さて、今日は人との約束がある。実は、サークルで知り合ったタイ人たちと会うのである。彼らはタイ有数の名門、カセサート大学の学生であり、以前日本にやってきたとき以来の友人である。タイに着いてからもポケベルにメッセージを送っていたのだが、一方向通信ゆえ、届いているのかは不安である。

 バンコク中央駅から列車に乗り、「Bang Khen」という駅で下車すれば友人の一人、ポーンが車で迎えに来てくれることになっている。宿から北に歩き、運河を通るボートで駅に出ることにする。渋滞知らずなので、時間にやきもきすることもないだろう。

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 しかし、臭気の漂うドブ川を波をけたてて走るボートなので、いつ水がかからぬ かとヒヤヒヤものである。しぶきが高くなると、両サイドにするするとビニールシートの幕が上げられる。よくできたものである。もう少しのんびり走ってくれるのならば、言うことのない交通機関であった。そしてファランポーン駅から車中の人となる。

 ここだ、と思った駅は仮乗降所のような、ベニヤ板を渡しただけの素寒貧としたところだった。そばにいた人に訊ねてみると、どうやら一つ手前で降りてしまったらしい。
 仮乗降所、である。駅名標を注視し続け、正しいと思ったところで下車したつもりだったのだが、正式な駅ではないために記載されていなかったようなのだ。
 悔やんでもしょうがないし、列車の到着を首を長くして待っているに違いないポーンにも悪いので、タクシーをつかまえて道を急ぐ。

 まずいことに、そのタクシーの運転手は英語が分からなかった。それでも「バンヘーン!」と叫ぶと、運転手はよしきた、という風に走り出す。
 しかし、タクシーは線路から離れ、どんどんおかしな方向に走り出す。もう一度「バンヘーン!」と身を乗り出すが向こうも「バンヘーン!」とおうむ返しに大声を上げるだけで、要領を得ない。はたと思い当たり、列車の切符を見せると、
 「オー、バンケーン!」
 といささか異なる発音を口にし、Uターンしてもと来た道を逆走しはじめる。最初からこの切符を見せればよかったのだ、バンヘーン、とバンケーン、は違うのだ、とおぼしきことを彼は笑いながらまくし立てる。私が行くべき場所は、正しく表記すれば「バン(K)ェーン」とでもいう発音である。タイ語は難しい。

 タクシーを降り、駅でポーンの顔を見つける。思わず、安堵する。実はこれこれこうこうだ、と彼に事情を説明する。お互いわはは、という笑いが起こる。
 彼は車で迎えに来てくれた。お姉さんが、今日は運転手をつとめてくれるそうだ。来客を手厚くもてなしてくれるタイ人気質に恐縮しながら、ゆったりとした後部座席に身を委ねる。ちなみに、BMWである。子息が大学まで行くような家庭は、この国ではエリート層なのだ。
 久方ぶりの談笑に花を咲かせながら、彼の通う大学の食堂で昼食をとる。もちろん彼のおごりである。財布を出すと、「何やってるんだい?」と、まるでこちらが悪いことをしたかのようである。

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 バンコクは2度目になるので、有名な観光地はほとんど訪れたことがある。それでも、彼は「どこに行くんだい?」と声をかけ、こちらを気遣ってくれるので、「ワット・ベンチャマポピットに行きたい」と伝える。この寺院はタイ様式と欧州様式の折衷建築で、屋根をのぞいたほとんどが大理石で造られており、その原材料もはるばるイタリアから運ばれたものである。本堂には、タイで最も美しいといわれる仏像、つまり数日前に私がピッサヌロークで見た仏像を模したものが安置されている。ステンドグラスで囲まれ、涼やかな本堂の中に、それは鎮座ましましている。

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 その後、別の友人宅を訪れ、彼ともしばし歓談の時を過ごす。

 その日の夕食はポーン一家と会食することになった。場所はたいそう雰囲気の良いレストランである。ポーンのお父さんもお母さんも英語を話さないので、ポーンが通訳をしてくれる。魚の丸揚げ、豚肉のにんにく揚げなど、次から次へと出てくるタイ料理のフルコースをご馳走になる。
 「タイでは、パイナップルに塩をつけて食べるんだ」とポーンがいうので、「日本ではスイカでそれをするね」と答えたら、お母さんが早速試して食べてくれた。言葉は通 じないが、笑いがあふれた楽しい食事だった。

 食事後、カオサン・ロードまで送ってもらう。何から何まで世話になり、タイ人の親切さに心を打たれた一日だった。

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