いわゆるネット証券を利用したデイ・トレードが増えているのは周知の事実だが、なぜなんだろうと考えてみて、直感的に以下の仮説を立ててみた。
労働分配率の低下 → 企業収益の回復 → 株価の上昇
労働分配率の低下 → 賃金所得の低下 → 金融収入確保のインセンティブ
経済産業省や労働政策研究・研修機構の統計を見てみたら、そもそも労働分配率は平成不況のただ中にも上がり続けており、仮説は誤りだったことが証明された。己の無知が証明されたような気もするけれど。
ただ労働分配率は全年代の所得収入をひとからげにした数字をもとに算出されているので、世代ごとの賃金上昇率や一人あたり平均賃金所得と、デイトレーダーの世代別分布をプロットしてみると何か見えてくるのかもしれない。とは思ってみたものの、僕は学者でもアナリストでもないので思ってみただけである。
というのも、個人的にそろそろ資産形成などを考えてみて、低金利のご時世ではどうも金融投資くらいしかまともにイールドを稼ぎ出す手段はなさそうであり、しかしながら野村証券のバーチャル株式投資倶楽部も会社の401K運用も失敗している我が身としては、とてもじゃないが雀の涙ばかりの蓄えを投じる気にもなれず、どうしたものかと思い悩んでいるからなんである。まずは自分が納得するためにも、世間でなぜデイ・トレードがこうも騒がれるのかについて合理的な裏付けがあるのか考えてみたものの、要するに拝金主義が蔓延したに過ぎないのではないか、というまったくもって非経済学的な推測に行きついて終わってしまうわたくし。
かといって安定したキャッシュインカムを得るには、転職くらいしか労働所得を増やす手段がなく、それはつまり自転車操業に近い生き方をするかあるいは一労働者としては割に合わなさそうなスキル・トレーニングを続けるかという、エピキュリアンにはほど遠い日々が待っていることが確実だとしたら、どうもインセンティブが湧きません。
やっぱりアントレプレナーになるか、とも思わないではない。リスクヘッジとしては、金になんかこだわらないね、という態度でも身につけておいて、NPOでもはじめるというあたりかな。
金がないのはイヤだけれども、ないならないでそれを正当化できるライフスタイルがないと格好悪い、などと規範に縛られたマインドで、日々、先行きを考えてみる。
こういうことを考えるのは、やっぱり父親の影響が大きいのだろう。僕は子供の頃から「カネのためだけに生きるのは最低だ」という心構えを叩き込まれ、心のどこかでそれを信じ込んでいる。
そのくせ子供の頃からカネに困る生活をしたことがなく、良く考えれば金銭以外のファクターにプライオリティを置く生き方なんて、裕福だからこそ成せる業なのであり、いざ自分で稼いで生きていく段になって、「ああオヤジの教えは偉かったけれど、それもこれも当人が稼いでいたからこそ言えるセリフだったんだなあ」と痛切に実感してしまう。贅沢な生活態度と、拝金主義への軽蔑を同時に教えられたアンビバレンツこそが、僕の生き方の軸が定まらずふらふらしている原因なのではないかということに思いあたり、どうしたものかとやっぱり、日々、先行きを考えてみる。
いや決して父親の教えは間違ってはいなかったと思うのだけれども、どうせなら働かずとも食える資産収入もセットにして欲しかった、と、あわせて考えないではない。やれやれ。