両方とも、ニュースをソーシャライズするところに意義がある。
で、どう違うの?というところからソーシャライズそのものについて考えてみる頭の体操。
■mixiニュース
・mixiが提供するニュースサイトに対して、参加者がコメントをfeedする仕組み。
・でも、現実にはほとんどがつまらないコメントだらけ(嫌韓厨が反応するだけ、とかね)で、コメントを読むインセンティブがほとんどない。
■はてなブックマーク
・はてなが提供する、はてなユーザが面白い!と思ったURLにタギングする仕組み。
・注目度上位のRSSを見るだけで面白いし、普段巡回しないブログの論説がうまく抜き出せてるんじゃないかな。硬派からネタまで。
で、はてなはアルファギークのオモチャにすぎず、将来性がない。それに比べてweb 1.0と呼ばれることも厭わず大衆化したmixiは偉い、という論調が業界で増えているように思う。ここらへんはウラ取りしたわけではなく、僕の主観です。
そうなのか?
『はてブ』の面白さは、アルファギークしか使わないところに(今のところは)依拠しているのではないか?
僕自身はずっと思い続けているのだけれども、これから本当にC2Cとかソーシャルメディアが「くる」のだとすれば、そこには必ず何がしかの「良いご意見すくいあげシステム」が必要なのだ。そうでなければ現在のmixiニュースがあらわすとおり、衆愚的な感情剥き出しのカオスが現れるだけではないのか。
次世代では決して既存メディアのパラダイムが根本から覆るわけではなく、既存メディアが果たしてきたフィルタリングシステムそのものを、誰かが担うところは変化しないのだ。ただし、そのフィルタリングをする人間が薄く広く分散している状態になることだけは確かで、
×ソーシャライズ=みんながメディアを作る
○ソーシャライズ=みんながメディアを作るが、その序列付けのためにみんながコンテキストのフィルタリングに参加する。
◎ソーシャライズ=みんながメディアを作るが、その序列付けのためにみんながコンテキストのフィルタリングに参加し、参加者の間にはゆるやかなヒエラルキーが存在する(ただし階層間の壁は既存メディアと大衆の間にあるものよりもはるかに低い)。
ということになるのだろう。
別にこんな意見物珍しくもなんともないはずなのに、「web進化論」の妙な誤読やweb2.0はただの流行り、というしたり顔の言説が広まるにしたがって、こういう考えがどこかにいってしまったような感がある。
で、mixiとはてなの話に戻ると、
・「mixiニュース」のコメントがきれいに序列化の仕組みを持ち、より有益なニュースやコメントがピックアップされる仕組みを持てるか?
・「はてブ」がアーリーアダプタだけではなく、フォロワーに参加しやすい仕組みやUIを提供できるか?
のどちらが先に来るか、これが次のターニングポイントだとひそかににらんでいます。
これに勝った方が、いわゆる「web 1.0企業」への挑戦権を持てるに違いない、と。
ここまで書いたら、ガ島の藤代さんが同じこと言ってた。ちょっと嬉しい。
情報収集にはRSSリーダーも使っているが「崩壊寸前」だ。登録のし過ぎで「フィードのゲップがでる」ほどだという。「自分でRSSリーダーを使うよりも、『はてブニュース』を見てるほうが楽。これまでのインターネットは拡散する方向でしたが、これからは編集感が大事になってくるのではないでしょうか」。例えば有名ブログを“目利き”として利用する。こうした目利きを何人かブックマークして、「自分の情報アンテナをブーストすればいい」というのが“藤代流”情報収集術だ。
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